やっているつもり、だけだったのか

今回はある事をするためにすごく準備をしました。
今までも準備はしてきました。が、足りなかったのかなあと思える出来事が起こりました。

いろんな視点から質問が出ると、場が活性化するので私は好きです。
が、どうしても最終的に落ち着けたい場所があるとずれてしまう事もあります。また、とんでもない方向に脱線して戻せなくなることも過去にはありました。
自由度が高い事を大切にしているだけに、それを統制するだけのたくさんの準備を今までもしてきたつもりでした。

が、今回は語源も含めてすごく細かく勉強をし直しました。事例もたくさん準備もしました。
何より環境を整えた事によって、あちこちに書類を広げなくてもよくなりました。

準備は小手先だけではなく、仕組みや環境も含めて準備をすることの重要性を改めて感じたのです。

そうして臨んだファシリテートの場ですが、結果から言うと、参加者からの反応も以前までより更に良いし、広く深く話ができたように感じていらっしゃる方々が多くいらっしゃいました。その時の参加者の影響も大きいとは言え、成長が止まってしまいそうな気配を感じて、インプットし直したりもしました。
環境も整えてみました。

結果としてよくなっているのならば、今までの準備が足りなかったのではないだろうかと衝撃でした。

よくある事ではありますが、準備が「時間をかけて丁寧にやっているつもり」だったのです。本当にたくさんの労力もいとわず準備もしています。準備があれば、あとは当日は全力でその場に関わるのみだ、と思っていたのに、準備の質が良くなかったなんて。
「頑張っているのに」
「やっているのに」
と、言う人に対して、以前の上司が「それは観ている人が判断することだからね」と良く言っていました。「観るならプロセスもちゃんと観てよ」と思った事もありましたが、プロセスにも問題があったなんて。今更ながら凹みます。しかもできていたつもりだったなんて。

とは言え、そう思えるのは、レベルが変わる段階なんだろうとも思えるので、これからワンランク上の準備ができるようにしていきます。そしてまたきっと「これで精一杯」と思う事があっても、「もっとできることはあるかもしれない」と思いながらやっていこうと思いました。満足していけないわけではないだろうけれど、「質の改善」はずっと続くものなのかもしれませんね。
「できているつもり」「やっているつもり」から、質のバージョンアップをして、同じ壁にぶち当たるまで試し続けたいと思います。

けれど、正直かなり凹んで、やっと平静に保てるようになった私でした。

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