一方通行は引きずられやすい

悪口を言われて、反論の余地なし。
失敗して、挽回の機会なし。
そんな経験がありませんか。

気にしない人は気にしないのかもしれません。
「旅の恥は搔き捨て」のように、「もう出会わないしいいか」と忘れても良いことも多いと思います。

が、私は視覚で覚えるタイプなので、その時の表情などが写真のように映像として残ってしまって、いつまでも引きずられてしまっていることがたくさんあるのです。
「わあ、苦手~」と自分たちの苦手な事の話をしていたら、近くに居た人が自分の事と勘違いしたのか、すごい形相でにらんできました。友達とその場を立ち去ったけど、知らない人だからこそ「こっちの話ですよ」と言うだけで良かったのになあ、という小学生時代の事ですらたまに夢に見ます。
なんとまあ、引きずりやすいのだろうか。

かと思えば、過激なのに覚えていないことは、その場で挽回できた事や、その後に再度挑戦してうまくいったことなどは良い記憶に書き換えられているように思います。

そう思うと、相手に引きずってほしくないなあと勝手な思いかもしれませんが、チャンスを上げたいなと思ってしまうのです。「たまたまその時に誤解があっただけかも。」「次はどうしたらいい?じゃあ次はそうしようね」など、どうしても相手に一方通行のように見えないようにしたくなってしまいます。
本当は余計なお世話だと思う事もあるのだろうなあ。

そんな事を思っていたのですが、こうした体験を話していたら、思っていた以上に「あの時ああしていたら」と後悔しているのに、挽回がきかなくて忘れられない出来事となってしまっている人が多い事を知りました。
時は経ても、挽回できたらやっと完了するようなイメージでした。

私の場合、今のような私が昔からかと言うと、こうした後悔を違う機会に挽回して今があると思います。引きずったままでいる事を今思い出すというのは、きっと「いつか挽回しなよ」と思い出させてくれているのかもしれません。今年はちょっと挽回したいことがあるので、挽回できたら報告します。

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