在り方が透けて見える環境や習慣

類は友を呼ぶ、など言いますが、本当にそうだなあと思います。表面化したものではなく、環境というか状況や習慣によって感じるものがあります。

例えば、企業様にお邪魔した際に、玄関の様子が気になります。
足元のマットがすごく汚れていて、斜めになっているとしたら、明るく迎えて下さって挨拶をしてくださるけれど、「普段は違うのかも」と感じてしまいます。(失礼な先入観かもしれません。あくまで私は感じてしまうという事で事実とは違う事もあると思います。)
面接に来た子が、玄関先で緊張していても靴をそろえるだろうか。帰り際まで意識を向けられるだろうか。帰る時が車なら車はきれいにしているのかな。など。そこで日頃からこうした事の出来る方なんだろうと日頃の在り方を想像してしまいます。
建屋はかなり古いけれど、お掃除はきれいにされていたら、大切にされているんだなあと感じますし、そこにいらっしゃる方々も文句も言わないのは、ちゃんと状況を理解されているコミュニケーションがあるのだろうなと感じたりもします。

人も企業も完璧ではないと私自身は考えています。
だからこそ、支え合い、より成長することで成長・発展していけるものだろうと。
ただあり方や価値観が尊敬できる方々と関わっていきたいなと思ってしまうので、私自身も先入観というよりも、言動以外でもあり方や価値観を見ようとしてしまう結果がこうした観察になってしまうのかもしれません。
とは言え、今まででお声かけいただいてお話させていただく方々や企業様は皆さん尊敬できる方々ばかりで、私は運が良いのかもしれません。

私自身でいうと、ああ透けちゃうなあと自分自身が思っているのは、尊敬や感謝を言葉で表すことは自然にできます。が、物にすることは苦手なのです。小さいころから本当に貧乏で、私のできるのは言葉を返すだけだったのが習慣になっているのです。一時期、物で表すこともしてみましたが、「受け取る事に抵抗はないだろうか」「重く感じちゃわないだろうか」など、自分が感じるであろうことを想像して、はばかられてしまうのです。今でも意識してできるのは、お仕事関連のみ。どうしてもプライベートだと「重くないかなあ」などと考えると躊躇してタイミングを失う事が多いです。
在り方や価値観が言動に影響を与えてしまうのですよね。

ある時「smilecoachさんはそうだと思ったよ」と言われた事がありました。ああ、やっぱり伝わっちゃうんだなあと。その人曰く、そういう人だと思っているから気にしないけどねとは言ってくれたのですが、それはそれで寂しくもありました。

在り方や価値観というのは、言動や環境を通して透けて見えてしまうのでしょうが、そんなに変わるものでもない。ただ言動や環境は意識して変えていけたら、やがて習慣になり、結果その人そのものと見えるようになると思います。時間はかかれど、私もビジネス以外の部分でも、感謝を形にするのはしていけたらいいなと思います。まだまだ抵抗感があり、時間はかかりそうですが・・・。

コメント

タイトルとURLをコピーしました