感情をありのままに受け留める

感情をありのままに受け留めることは簡単だと思っていましたが、結構「○○と思われたい」とか人に見られる場面などだと飾ってしまうこともある気がしませんか。そこで、感情のありのまま受け留めるってどんな事なのか振り返ってみました。

私だけなんでしょうか。感情をありのままに受け留めることが苦手だった人は。

NLPを学んでから、泣きたい時は泣く、怒りたい時は怒るという単純な事ができるようになりました。時に我慢することがあったとしても、どこかで表現するようにしています。
とは言っても、結構ポジティブなので泣きたいこと、怒りたい事が発生することはそんなになく、笑っていることの方が基本的に多いのですが、いつの間にか自分でも「笑っているのが私」という思い込みをするようになりました。

そのためにネガティブだと自分が感じている感情は表に出さないようにしていたのです。けれども、そうしていると結局抑えているだけなので、どこかに出てしまうんですよね。違う場所で違う人に「抑え切れない感情」として爆発してしまったり、体調に現れたりしてしまうことがあったように思います。

けれども、NLPを通して、自分の感情や感覚を大切にできるようになってからは、自分との会話を思考だけではなくできるようになってきたように思います。感覚としては、「受け留める」というよりも「味わう」という感じです。
ネガティブというよりも、ただ「ああ、私、今○○な気分なんだな」と感覚と感情を感じ取るだけなんです。そこにポジティブかネガティブかなんていう評価は一切ないです。

その事を味わうことで、今の自分を再発見することもあります。
例えば、「私は過去をネガティブに受け留めて、ずっと言い訳のようにして、その瞬間と今の自分を正当化しようとする人が苦手なんだ」と気づきました。こういう過去の振り返りは嫌いじゃないと思っていたのに、それを活かしてだから、この先どうするのかという話ができないことに苦手意識があったことに気づきました。

気づいてしまうと、何だか耳が聞きたがってない自分を再認識し、敢えて先の話も問いかけてみることで、最後まで話しを聴けるようになりました。自分との会話がなかったら、気づかないどころか、解決策さえ見つけられなかったのかもしれません。

自分の思考パターンに気付けるのは二つの方法しかないのかなと最近痛感しています。
一つは人に見てもらった事をありのまま伝えてもらうこと。
そしてもう一つは、自分の「感じている感覚」を大切に感じ、感情を味わうこと。

他にもあると思いますが、無意識に目を向けてみることはこの二つの方法なんだなと思います。思考だけに頼るとどうしても、都合よく解釈してしまうので、感情や感覚とは別の事を考えてしまうことがあるような気がします。
すごくメンタル的な事なのかもしれませんが、自分自身の感情や感覚を大切にしたいものですよね。

その感覚や感情を味わって、「私、こう感じているだ」と受け留めると、抑えこまず、その場で本当の意味の感情の消化が行われるのだと感じています。
うまく伝えられないのですが、まずは自分の感覚や感情を無視したり、抑えつけず、味わってみませんか。

コメント

  1. 精神(こころ)と頭脳(あたま)のバランスでしょうかネ。
    僕は、それができずに随分苦しみました。

    主に精神が苦しんでいたのカナ?
    抑え込んじゃったら可哀相ですよネ。

  2. 自分を知ってはじめて人を知り、
    人を知ってはじめて自分がわかるという弁証関係に、
    好悪や強弱といった基準を持ち込むから
    おかしくなるんですよね。
    人は何を見ても自分が見たい形に歪曲する。でも、出来事は常に中立。

    ただただ、真っ直ぐ見れば良いんだと思います、
    自分も人も。精進ですね。

  3. coachsmile より:

    ガリレオさん
    ありのままでいいんですよね。ありのままで。

    それが抑え込んでしまったらね。
    苦しむ時は、ありのままじゃなくなってしまうんですよね。

  4. coachsmile より:

    あたまるさん
    好悪や強弱などの二極化をしちゃうことで、そのままを見られなくなっちゃうと
    自分も人も関係ないんですよね。
    ただただ、まっすぐ。
    意識しないと忘れちゃいますよね。

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