昨日ですが、久しぶりに「ペン字」の練習帳を購入しました。解ったつもりほど怖い事はないと知っていたからです。
小さい頃から書道とペン習字を学び続け、師範のお免状を頂いてから辞めたのですが、就職してから再度学び始めたら、自分の字が下手になっていて、しかも続けていらっしゃる方々は皆さんお上手でした。一回学んだ事があるのは得だと思っていたのですが、先生の「癖」を受け継いでいるので、非常に苦労して1級まで続けた所で、今度は結婚で通えなくなり辞めました。
その後、栃木では書を教えて下さる先生が、少し遠くにはいらっしゃるという情報は得たのですが、お近くでは見つからず、自己流で字を書いていました。(とは言っても、一応昔取った杵柄って物はあるとは思いますが・・・)
ただ、明らかに続けていないと下手になっていくのは自分で解ります。お家で練習しようと墨をするのですが、筆の一筆目が、なかなか書き出せません。手が震えてしまうのです。
結局、パソコンで文書を作る事も増えてきた関係で、自分の中で何となくしっくりいかないもどかしさのようなものだけを残して今まで来てしまいました。
本屋さんに行く機会は何度もあったのですが、ずっと気になりながらも素通りしていた書写やペン字のコーナーに、昨日はふと足が止まりました。
娘が「お母さんは字が上手だから、練習しなくていいんじゃないの?」と言ってくれましたが、娘が書道を習い始めた事がきっと大きな原因になったのだろうと今は思いますが、「昔のように思うように字を書きたい」と思いました。
それで、自分の描きたいような字がお手本になっている本を選び、練習帳を購入。まだ書道ではないですが、まずは形のくせから直してみようと思いました。
1ページ書いてみて解ったこと。
「解ったつもりでいたけれど、相当癖がひどくなっていたんだな。」という事です。
これは字に限らず、私達の性格や習慣、価値観、思考なども同じなんだろうなとも感じました。
NLPのマスタープラクティショナーの認定を頂いた頃に、学ぶ段階で解った(と思った)事がありました。が、何度となく同じような壁にぶつかるので、先生に連絡をして、聞いてもらいました。その時に、
「小林さん、解ったつもりになるだろうけど、どんどん変化するからまた解らない事は出てくるし、もっと深く考えられる事も出てくるんだよ。僕でもまだ解らない事だらけです。解ったつもりになることが1番怖いことかもしれませんよ。」
とおっしゃいました。この言葉がやけに耳に残っていたのですが、今回の字の事で、ふとその事と結びついたのでした。
解ったつもりになると、見えなくなることも、勝手に強化してしまうこともあります。それが、「癖」をひどくさせたり、解ったつもりだから練習もしなくて下手になっていたり、練習をすることさえ要らない事だと感じさせてしまっていたのかもしれません。
対象が人(自他)であれば、解った気になると、事実さえ見えなくなってしまうこともあるでしょうし、周りにこれが正しいと押し付けてしまう事もあるかもしれません。柔軟性もなくなり、ヘタしたら社会への適応さえできなくなってしまうのかもしれません。怖いなと思いました。
あなたも「解っているよ」と思っていることってありませんか。
そのことが与えている影響ってどんな事がありますか。
今一度、自分自身に問いかけて見ませんか。「解った気になっているんじゃないだろうか」と。
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