認められたい自分って居るんだなあ

先日のセミナーでの事です。「私が変わりたいんだ」「人に●●してもらうために、私が出来る事をしたい」等、それぞれの思いを持ってセミナーに参加して下さった方々がいらっしゃいました。
その方々と一緒に研修を創り上げていて、その方々の気づきから教えられたことです。

二人の人のお話をさせていただきます。(詳細は守秘義務があるため、皆さんに細かくお話しできなくてすみません)

一人目は「人前で話せるようになりたい」という思いを持った方でした。その方は、既に研修に参加し、手を上げてその思いを伝えられた時点で、行動を起こされているんですよね。
けれども、「更に話していきたい」と思っていらっしゃるようで、その方とのやりとりがありました。

(本人の了解を得てないので、やりとり省略)
やりとりの中では、「話せるようになったらどうなるのか」「今までに話せた経験があるなら、その経験と最近との違いは何か」など、問いかけて答えてもらいました。
そして、最後に次に会うまでにやってみることを、皆の前で宣言をしてくださいました。

次の時には、しっかり実践し、相手の反応も含め観察をしてきて下さったために、他の人達と「良かったね」という思いを素直に分かち合う事ができました。彼女の表情も非常に柔らかくなっており、声も大きな声になっていました。
ここでの彼女は、見守ってくれてる人が居るという事が励みになったようでした。

この方だけで終わるはずだったのですが、何となく気になっていた方が、別のことで発言をして下さった時に、コーチングのやりとりをさせてもらいました。
彼女は、「ある人との関わりをさらに良くするために自分にできること」を探しに研修に参加されていました。

そのことについて、コーチングさせていただく中で、彼女がふと涙を流されました。周りは温かい、支える雰囲気になり、彼女もその温かさの中で、最後まで話しをしてくれたのです。

後から、「あの涙のわけ」について話しをしてくださいました。

「私は、やりとりの中で、私自身が小林さんに認めてもらえてる事を感じて、すごく嬉しかったんです。きっと私自身が認めて欲しかったんですね。もしかしたら、相手に対してやってあげているつもりで、私は相手に認めてくれと思っていたのかもしれません。でも、その前に私は相手の事をちゃんと認めてあげているのかなあ。今日、認めてもらったことで落ち着いた気がします。今日からは、相手をまず認めてあげたいなと思いました。」

そう言いながら、また安心したと言いながら、再び涙を流されていました。寄り添っている私まで目頭が熱くなりました。
でも、「講師の時は泣かない」と決めている私には、コーチとして関わったその時間の涙を抑える事に必死だった気がします。ここにも私のエゴというか、こだわりが自分で見えてしまいました。

ただ、この二つの出来事と関わらせていただき、特に二人目の話して下さった涙のわけを聞いた時に、認めてもらうってことって大きな事なんだなと解っていた事なんだけれど、改めて感じる事ができました。

そして、研修が終了して、コーチングを受けて下さった一人目の方が、これからも私のセミナーに参加したいと表明してくれたことで、私自身が認められた気分になり嬉しかったのを、今日の事のように感じています。

どれだけ格好つけても、どれだけ講師モード、コーチモードと切り替えられるようになっていても、私を認めてくれた人が一人でも二人でも居てくれる事に、私は「安心」を覚え、人に優しくできているのかもしれないと感じてしまいました。

じゃ、認めてもらえなかったら、優しくできないのか?
その時は、今度は認めてもらうために「優しく振る舞う」のでしょう。自然に湧き出る優しさとは違う形で表現してしまうのでしょうね。
私自身は、講師モード、コーチモード関係なく認めてくれる人が周りに居るから、仕事の時に認めて欲しい思いをそこに出さなくても済んでいるのですが、それでも、認めてもらえることはやっぱり嬉しいものです。

私のこの体験、そしてお二人との関わりを大切にして、これからも多くの方々に接していきたいと思います。無理することなく・・・。

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