どうしても一致はしないものや事だってある

あなたの見ている青と、私の見ている青は、同じものを仮に観ていても違うかもしれません。

そのことが分かってからかなり経ちますが、この事をきっかけに、この人の使う言葉の意味と、私の使う言葉の意味は同じでも違っているのかもしれない、と思うようになり、言葉やその人の持っているイメージや意味を凄く聞いてみたくなりました。
それでも、わかったかと言うと全然違うものを想像しているだけかもしれません。

辛い人が周りにいたので、その人の事を知ろうとしたら、私の中の何かと反応して、共感したように気持ちになっているけれど、これもあくまでも私の中の想像なだけで、相手の辛さを知ろうとしても、どこまで言っても想像でしかないと寄り添えていないのではないかと感じてしまっていました。

が、その辛がっていた人が、「聴いてくれてよかった。ありがとう。」と言ってくれた言葉で救われた気持ちになりました。コーチングではない場面でもこういう事をしていると、聞き役だったことが多いです。
人前に立つ仕事もするようになって、自分の事を話すようになったけれど、相手の体験と紐付くようにしたいと思って話してみています。

この繰り返しをしていて、最近言葉選びがすぐにできなくなっています。どっちの言葉がこの人には良いのだろうか、と考えすぎてしまう事があるからです。

ただ、今朝思いました。
伝える方も、伝えられる方も、それぞれが自分の思うように想像し、発し、受け取る、のだから、自然体で居るのが一番ではないだろうか、と。

自然に・・・。今までも自然なつもりでしたが、言葉を選ぼうとして躊躇していた自分は居なくなるのかもしれませんし、またひょっこりと顔を出すのかもしれません。私らしさだったのかもしれず、これ自体が自然体なのかもしれません。
が、言えるのは「それぞれ違う」ということ。誰が見ても物理的に同じもの(計算結果、客観的な事実)はありますが、それでも色のように違って見える事もある。
そして、それを分かったうえで、一緒の空間を見、感じられる人との時間を心地よいと感じるのかもしれません。

少々、今朝思った事をツラツラと書いたので取り留めのないことを最後まで読んでくださってありがとうございます。
違う事にもがくのではなく、違いを楽しみたいものですね。

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