指導に悩むくらいでちょうどよい

この指導で良いのかなあ、と悩む位でちょうどよいのかもしれない。

こんなの当たり前だよね!と言うのがどんどん通じなくなっていく社会で、自分自身も変わっていく必要があるとしたならば、指導に悩むくらいでちょうどよいのだなと思いました。

指導法にコーチングが導入できると学びたての頃は多用してみたけれど、それだけでもうまくいかないし、受け止め側も「急にどうしたの?」と受け止めるまでに時間はかかります。
お互いに模索しながら、新しい方法を気づいた頃には、違う人と違う点で迷いながらの関わり方が始まり、人それぞれと改めて感じる事になりました。

更に、こうしておくと問題は起こらなそうだな、とノウハウを自分なりに手に入れたつもりが、「あれ?これでもそうなっちゃうの?」と言う新しい出来事が起こり、また模索することに・・・。

同じ人と接するばかりではない私は、そのことを短いスパンで感じる事ができますし、短いスパンで効果を感じることもできます。が、反面、信頼関係が育ってないからこそ、一段と言い方にも気を配りますし、相手を観察もします。
伝え方が良くなかったかも、と思って取り返しのつく場合もあれば、つかない事もあります。

常に接しているからの難しさと、そうでないからこその難しさは違うのかもしれませんが、それでも社会が変わっている以上、伝え方も常に変化していくものだと感じています。
それだけに、指導などの際の伝え方も、悩む位でちょうどよいのかもしれません。

ただ、それが誰のためなのか、何のためなのか。は、都度確認していく必要があるように私は感じています。
また伝えられた側がどう感じたのか。気持ちも含め聞くことも大切なのだと最近すごく考えさせられます。

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