「可愛くない」内面の自分の葛藤

「可愛い」というのは、外面もあるだろうけれど、私の場合は内面の可愛さだけは持っていたいな、と年齢を経ても笑顔で素直に話を聞いていた祖母を観ていて思っていました。

けれども、人の話を信じやすいが故にたくさん挫けたこともある私にとって、「本当かなあ」と一度違う方向から確認してみる事はするようになってしまいました。
それ故に、何かを教えていただいても「やってみないと解らない」「私に合っているかわからない」と思ってしまう私が居て、「素直じゃないな。可愛くない」と思ってしまうのです。

ただ、「〇〇さんから教えてもらったから」と人のせいにするのではなく、自分が選択する責任も持とうと思うと、一度鵜呑みにしないで確認する。違う言い方をすると疑ってみるようになりました。そのおかげで、失敗だったかもしれないことも自分の選択だから責任を持てるようになりましたし、考えた上で動いたので失敗だととらえるより改善すればよいと捉えられるようにもなりました。

自分が経験から得た知恵や行動と、なりたい自分像に乖離があるように思えて葛藤をしてしまいます。
が、昨夜本を読んでいて思った事は、「まずはやってみよう」というだけでも素直さは残っているのかもしれないと。
これから更にいろんな経験をして、観ていた祖母の年齢になるころには、芯があるけれど可愛い内面を持った人であれるように今は葛藤も味わっていこうと思います。

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