空白を作る手放す勇気

自分があきらめきれないでいるけれど、自分で負荷を与えているという矛盾を感じたことってありませんか。私はそんな矛盾を感じることがあります。でも、思い切って空白を作ってみるとどうなるのか。

「空白を作る」という言葉を使ってみたのは、私の中では今まで大切にしてきたことなのに、「捨てる」という選択は心に穴が出来る感覚でもあります。けれども、一方で「ストレス」になっていたことでもあり、「捨てる」という選択で「ストレスは軽減される」という感覚でもあります。
その二つのことを表現するために、「空白」という表現をしました。

私にとっては二つのことがありました。
一つは所属している会に参加できてないのですが、そこにいらっしゃる人達との関係は大切にしたい思いがあり、脱会することを選択できていません。けれども、この考えが浮かんだ時点で、参加できてないことへのストレスから解放されたいという思いもあるはずです。

もう一つが本を書くことです。
楽しみにしてくれている人達も居るし、自分も書きたい。けれども体がいう事を聞いてくれない。そんな状態で時間ばかりが過ぎて、担当者にも申し訳ないし、どんどん報告するのも申し訳なくなってくる。書きたいのにかけない。迷惑をかけたくないのに、かけている。待っている人が居るのに書けない。そんな思いのギャップに苦しんで、一旦作業をやめてみて、やっと書く気になってみたのだけれど、体が疲れていると1ページ書くのが精一杯となる日々。

結局私にとって、この二つは自分の人生設計の中から外したくないものなのに、ストレスにもなっているものでした。それでも辞められない。大切なものだからと思っていたのですが・・・。

敢えてリセットしてみるというのもいいのかなと思えるようになりました。
ずっと大切にしたいものだったので、それを敢えて捨てる必要があるのかと思うかもしれませんが、捨てるのではなく、「離れてみる」という選択肢もありかなと思えたのです。

離れてみることで、また触れ合い方を考えてみたり、俯瞰してみることができたら、次に触れようと思う時にはまた新たな方法を見つけて、触れることができるのではないかと思うようになりました。やっとです。

自分の中で、空白を作ると必ず埋めたくなる。そんな思いを同じ事で埋めたいと思うのか、違う方法で埋めたいと思うのかは分かりません。
けれども、私は父が生きている間に本は見せたいです。今は疲れない体作りをする事で空白を埋め、そんな体になったら一気に書き上げられる本を出したいなと思います。
構想は膨らむばかり。

手放す勇気って思っていた以上に大きいものです。そこにできた空白は最初から快適なものではなく、そこには手放す事へのストレスもあります。けれども、このストレスや勇気は、継続的なストレスとは違い、一瞬のものだと考えています。

今、自分に空白ができることで、私がどうするのか。また自分への新しい楽しみでもあります。

とはいえ、まだ自分の中の決断であって、行動に移すのはこれからというものもありますので、今は温かく見守ってください。
両方(継続的なストレスなく関われること)を手に入れる方法が見つかるまで、小休止です。もしかしたら、その時に違うものを見つけていたら、違う形になっていくのかもしれませんし、まずは枠を作らないでその枠から出てみる感覚で、空白を楽しんでみたいと思います。

あなたは、したいけれどしたくない。そんな葛藤でストレスを感じてしまっているとき、俯瞰してみたり、手放してみたりしたらどうなるのでしょうか。

コメント

  1. ギタじい より:

    「今は書かない」
    その決断を支援します。

  2. coachsmile より:

    ギタじいさん

    ありがとうございます。
    決断までには時間もかかりました。
    けれども、今はなぜかすっきりしているのと、別のことで
    書きたいことも出てきていることに気付きました。
    これは手放さないと分からなかったことです。

    ちょっと「今は書かない」ことで何が起こるのか自分の
    中の変化に当分目を向けてみたいと思います。

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