何でも話せるってすごい事かも・・・

今日は自分のコーチとのコーチングセッションがありました。その中で、今のコーチには私、何でも話せるんです。これってすごい事なんだなあと思いました。

何でも話すってなかなかできない事だなと感じています。見栄があったり、ここは話さなくてもいいやと思ったりすると、言葉を選んで話すことも多々あったように思います。けれども、言葉も選ばず話せる相手で、しかもしっかりと受け止めてもらえる人って少ないのではないでしょうか。

自分もそんなコーチでありたいと思って居るのですが、実際にそうできているのかは別として、受けた側の体験というのは伝えられると思うし、守秘義務は関係ないから話します。

昨年は体調の事などで色々悩んだりしてきて、そのことで学んだ事が沢山ありました。そのことを話していると、「里江ちゃんの頑張っちゃう原動力は何なの?」と聴かれました。これは、研修の受講生からも聴かれますが、きっとカッコいい言葉で話そうとしていなくても、自分の価値観がそこにマッチしているからだと話しています。

これは間違ってはいないのです。ついつい動きたくなるし、止められないのは、まさに自分の強みであり価値であると思います。ただ、今日話していると、「期待に応えたい」「期待に応えなければ」とか、「約束は守りたい」「守らなくちゃ」という価値観を大切にするあまり、体に無理をさせている言葉も一緒にくっついてきました。

体が「辛い~」って言っているのに頑張っちゃった結果が、病気として現れてしまっていたんだなって改めて感じました。
そんな話しをしているうちに、他の体に現れている信号にも気づいて、黄色信号点滅しています!という状態が見えてきました。すると、今、何をやって、何を遠ざけたらいいのかが、言葉を選ばず出始めました。

人間関係の中の自分の中に閉じ込めていたものも話せると、そのあとすんなり整理がつく感覚もありました。

結局、私は今何を優先して、何をやめようか。
今、私は何を大切にしているのか。

変化してきている今の自分を感じ取ることもできました。これって、何でも話せるからこそ気づけた事だったように感じます。(書いてある事の中では伝わらないかもしれませんが、人間関係辺りは、相当暴露しています)

コーチングはゴールに向けての行動を促すものと言われますが、こうした「進もうとしていても、心地よく進めていない状態」ってあるのではないでしょうか。無理して進ませることだけが、コーチングじゃないと私は思っています。
相手にとって、自ら動きたくなることが大切ですよね。
そのために、妨げているものをクリアにするだけでも、人は本気で進みたければ進むようになるんですものね。

だからこそ、本当の事を何でも話せる環境がコーチが居る事で得られる事は大きいと感じました。
そして、私自身もそんなコーチングを提供できているのか、一度確認してみたいと思います。また、できていればこれからも大切にしていきたいですし、できていなければ、自分がまず素直になることで、相手に話してもらえる環境を再度、構築していきたいと思いました。

あなたは、何でも話せる仲間っていますか。

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