日頃から「何でだろう?」と疑問を持って、その答えを探ってみて、検証する。これが仮説検証なんだろうけれど、そもそも「何でだろう?」って思うことって子供の頃の方が多かった気がします。
子供の頃は、大人が当たり前だと受け容れてきたことにも疑問を持てるから面白いですよね。
「魚はいつ眠っているのか。どうやって寝ているのか。」「何で楽しくもないのに笑うのか。」「家族の中でお父さんが偉いって誰が決めたのか」など、親を困らせていたらしい私。結局、親に「自分で考えてごらん」と言われて終了。
知りたくて調べてみたり、自分で仮説を立てることを覚えたのはそんな親のおかげかもしれません。
しかし、やはり子供の時より「なんで?」と一緒に疑問を持ってくれる人は減っている気がしました。大人の対応力が養われることで、疑問は減っていっているのでしょうか。
なぜこんな事を急に思ったのか?
それは、昨日とある研究者や学識経験者の皆様の組織開発に関するお話を伺わせていただく機会を持てました。
その際に、なるほど!と思う部分もあるのだけれど、既に体験している事が多くて、知識の裏付けをする感覚の方が多くありました。
が、そんな時に私の癖になっている「なんで?」がいくつか生まれました。けれども、数名の方々のお話を伺ううちに、仮説ができ、体験からの小さな検証はその場ですぐにできました。が、一般的なのかはわからないので、その後調べてみたいと思いましたが、検証は学識経験者や研究者の方々の得意な所でしょうが、「なんで?」の疑問は、その道に精通してない人の方が浮かびやすいのではないかと考えたのです。
タイトルには「大人」と書きましたが、大人に限らず業務に精通すればする程、見えなくなる「素朴な疑問」というものがあるのではないかと思ったのです。
だからこそ、大人になっても、疑問は持ち続けていきたいですし、精通してない人達の疑問もどんどん聴いてみたいと思いました。
他にも、大人になるとなんで返事をしなくなっちゃうんだろう?というここ10年位考えてしまっている疑問もありますが、10年経ってみて、これに関しては仮説自体が間違っていたのかもと思っています。でも、良い事は続けていけばいいのに、減ってしまっている事も事実かなとも。
そんな事も含めて、変わりに得ているものはあるのでしょうが、できれば大人になっても大切にしたいことが私にはあります。しかし、意識してないと失ってしまいそうなので書き記しておきます。
あなたが大人になって変化した事って何かありますか。
それによって得たものと、失ったものはなんなのでしょうか。
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