自分を信じてくれる人が居る

先日、「なんで小林さんは簡単に返事ができるのですか」と言われた事があります。優柔不断の私が、簡単に返事をしているのかしら?
考えてみると、確かに即決できる場面があることに気づきました。

それは、優柔不断だからこそ、他の人に「これしてみたら?」とか「里江ちゃんには○○ができると思うよ」と言ってもらえたことには、「やります」とすぐに返事をしているのです。人が自分の事を信じてくれるなら、迷うよりやってみればいい!という思いです。

そんな中でも、迷う時というのは、そのこと自体に迷うというよりは、他の事との大きな関連があって、物理的に困難だというような時だけで、きっとその迷いが生じた時には、最終的に「止める」決断をしているように思います。

そうなると「優柔不断だからなんでしょ?」と言われるかもしれませんが、優柔不断なら優柔不断の生かし方があるのではないかと思ってます。おかげで、優柔不断から抜けだしたようにさえ感じられるようになりました。

そもそも、もしかしたら深く考えて言ってくれているわけじゃないのかもしれません。
しかし、私にこれからオリンピック選手を目指したら?と言う人は居ないでしょう。政治家になったら?も言われないでしょう。7号サイズの服を着てみたら?と言う人も居ないでしょう。
となると、深く考えて言わないにしても、その人にとっては私にならできると思って言ってくれていると思うと、自分の可能性が広がる気がしたんです。

受身に見えても、駄目な時は駄目と自分で選んでいます。でも駄目ではないと思った時にはその可能性に賭けてみるのも悪くないと思っています。

仕事などでも、忙しい時に限って「これやっておいてくれないかな」と言われ続けても、やってきました。どうしてもやれないと思った時には、優先順位を聞きながら、それでも新しい仕事に挑戦して、自分自身を成長させてこられたのは、「あなたならできる」と言われているものだと勘違いかもしれないけれど、「やれないことは頼まないはず」と信じて、相手の言葉を実行してみたおかげです。

今も、周囲の人の期待が大きいけれど、自分の中で「私なんかで大丈夫なの?」と思うことを頼まれつつあります。でも、今回は数名が「里江ちゃんに是非」と言ってくれている。私の可能性を広げてくれる大切な言葉。ありがたいです。周囲の言葉を信じて、実行する事に決め、実行までの準備期間は数ヶ月。あっという間でしょうが、やってみようと思います。
私ができると信じてくれる人達が居てくれるから。

父に言われた言葉にも、こんな言葉があります。
「仕事というのは、信頼され、できる人に仕事が集まる。忙しいということは必要とされている証だ」
この言葉を信じて、父も本当にお家以外ではすごく一生懸命に望まれる事なら何でもしていました。「器用貧乏」と言われて笑う人も居たけれど、私は人に必要とされている父が格好いいと思っていました。
きっとそんな父を見てきたからこそ、今の私も自然にそうしていたのだろうと思います。

自分を信じてくれる人が居る。嬉しい事です。
反対の立場であれば、相手を信じて任せてあげることも相手への「君ならできる」というメッセージになるんでしょうね。

コメント

タイトルとURLをコピーしました