適度ってどのくらい?

適度って本当に違うものですね。

子どもと連絡を適度に取りたいけれど、自由人の子供は数か月は連絡しない。これが適度。
親は、一緒に暮らしていないから心配で、月1回は話したいけれど、これは「頻繁」だと感じているらしい。

連絡を取ろうちして、前回の連絡した日を見る。あれ?だま2週間だ。これは「ウザい」ペースだな。と自分の仕事に意識を向けて、また2週間経ち、そろそろ1か月だ、と思っても、子どもにとっては「頻繁」なわけです。

家族だから容赦ないやり取りもしながら、「適度」ってどのくらいなんだろう?と曖昧な言葉のズレを認識しています。

それでも、相手に合わせるだけでなく、共に歩み寄りたいものですが、成長過程の相手には、歩み寄るよりも今の楽しさに集中しているのだろうから、私が合わせるしかないのだろうなと。

部下育成も然り。
相手は育ててほしいなんて思っていないかもしれません。でも、こうなってほしいという事があって歩み寄る部分はあっても、私のペースに合わせてほしい、というのは違うのは解る。
今は、お互いに歩み寄る事を求められているのかなと思うと、その場限りの話ではなく、家族のような根本の部分を気持ちも含めて話せるような場が作れたらいいのになあ。

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