指摘しないのは、他の人から見たら黙認

昨日の続きになります。
「男性はこうあるべき。女性はこうあるべき」と発言を無意識に、当たり前にしてしまっていた担当者に、「気づく機会」を与える事ができたのは、私だけだったのではないでしょうか。

だからこそ、反省と後悔と、そして、今後に向けたモヤモヤが・・・。

B社を通して、A社での研修をさせていただき、研修自体は終了し、私が片付けている最中に、A社ご担当者が受講者に向けて伝えた話のごくごく一部です。

とは言え、同行していたB社ご担当者も、話して居るA社担当者も自分の発した言葉に気づいていない様子。
私自身は、気づいたのに、「口挟んでいいの?あれ?みんなの前だし、どんな言葉で介入できるの?」と悩んでいるうちに終了してしまい、結局、私は何もしていません。

ただ、後からずっと考えています。
受講者たちは言うこともできないだろうし、風土として既に根付いているものであれば、ご担当者様も気づく事もできなかったのであろうと。
そうなると、その違和感を指摘できるのは、私しか居なかったのではないだろうか。立場を考えて発言しないのは、「黙認」と同じことではなかったのだろうか。

少し時が経っているにも関わらず、私の中ではずっとモヤモヤと残ってしまいました。
「なぜその場で伝えられなかったのだろうか。」
「今度同じような場面に遭遇したら、自分達で気づいてない方々に、その場で関係なさそうな私が本当に口を挟めるのだろうか。」

受講生も疲れていて、下を向いているのであれば、聞き流れているのかもしれません。私だけが気にしているから気づいただけかもしれないことを、敢えて取り上げる事になったら、それはそれで余計なお世話になってしまいます。
次、同じような場面に出くわす可能性もあるのに、その時にどうするのか。

ただ、何もしないのは、受講生達からしたら「講師は認めている」と感じているのかもしれません。
私にモヤモヤが残ってしまったこと以上に、その場で何か私が発しなかったら、受講生のモヤモヤも晴れる事は今後ありません。

「今、男性女性って仰いましたね。」だけでも良いのかなあ。
「終わっていますが、もう一つだけ言わせてください。と年齢、性別、その他の違いも関係なく・・・」とか、その人にも間接的に気づいてもらえるような事を添えれば良かっただろうか。

いづれにしても、黙認と同じだと思うと、その時と同じような「悩んでいる内に時が過ぎる」のだけは、違うような気がしました。
その場、その時には戻れないからこそ、ずっとモヤモヤしているのですが、今後変えていくしかない事だと思いました。

職場内で伝え合うのも大変ですが、関係ないであろう人が言うのも勇気は要ります。でも、見過ごしてはいけないのでしょうね。
そんな事を改めて感じたので、宣言の意味も込めて、日をまたぎ、ここに書かせていただきました。

あなたはどう思いますか。
あなたならどのように関わりますか。

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