思うようにいかないから面白い?

思うように行かないから、面白い!なんて言いますが、そう思える時ばかりでない事を実感中。

私の思うように行っている状態が、一人だけ違っていたので、みんなに歩調を合わせてみようと歩み寄ってみたら、「これもありかも!」と思えて、納得したのです。

ところが、その矢先に、「やっぱりやめた」と、歩み寄られた側が急に方向転換。
ちょっと待ってよ!
それが良いって思って、進み始めたのに、何?

解らなくもないけれど、もともとは私も違う意見だったわけだし・・・。
でも、進み始めてそれはないでしょ!

と、歩み寄った自分が無視されるのが嫌だという私のエゴなのかもしれないし、敢えて違う方法をギリギリで一人が言い切って、違う方向に向かう事が本当に良いことなのか、解らなくなってしまいました。

いったい、今、私が思う「思い通り」って何なんだろうか?
相手が思っている「思い通り」って何なんだろうか?

どうしてもあの山だけは登らなくてはいけない!ということが決まっている時に、ルートを模索するのは良いけれど、その山自体をないものにしようとしているような「やめた」という言い方がきっと気になっているのが今の私。

それを伝えた所で、相手には、その山はもう「ないもの」として扱われているのか、それとも見えているのに、見ないふりをしているのか、もっと信じてあげるとしたら、違う山の登り方を模索しているのか・・・。

いづれにしても、一旦登り始めた山を今、一度下山するのかの選択を私は迫られています。
降りたくない。
これは、エゴなのか?
それとも、本当にその人の山登りを手伝っているつもりなのか?

これらの選択が、面白いとは全く思えません。
いつか振り返った時に、面白かったねと言える選択をするには、きっと今は、思いっきり話し合う時期なのでしょうね。

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