結局比べている

人と比べるのではなく、自分の過去からの成長を観ていこう。
コーチングを受け始めてから得た視点。

でも、私は未熟なんだなあ。やっぱり比べちゃいます。

私は、昨日の投稿に続くようですが、父に「だめだ」「足りない」「そうじゃない」とだめ烙印を押され続けてきました。けれども、コーチングを受け始めて、「自分の成長」に関しては認められるようになってきました。けれども、私の成長は、「コツコツとゆっくり」であることも認識しました。
けれども、根底では自分に「だめ」という烙印を押したままなのでしょうね。周りの人がキラキラしてみえるのです。

同じになりたいと思っても無理だと思っているから、ただただ「すごいな」と尊敬をする。せめて同じになれなくても、その考え方は身につけたいと話を聞いたり、近くに居て真似してみたり、成長の材料を見つける。そして、挑戦するのです。
どうやら、諦めだけは悪いのです。

とはいえ、同じ頃に何かを学び始めた人は、ゆっくり成長の私からすると、通り過ぎるように早く前を走っていて、「こんなに差ができちゃった」と比べては、落ち込むんです。

一旦落ち込むと、「私はゆっくりなんだから、それでも続けていれば・・」と諦めの悪い私が背中を押してくれて、コツコツと続けるのです。決して、比べた相手を「羨ましい」と思うのではなく、「尊敬しちゃう」と思えるのは、母から受け継いだものなのでしょうが、その尊敬も「私にはできないのに、すごいなあ」という視点。
これって、どうなの?

悶々としていましたが、自問自答の問いですが、「そもそも比べるのは悪いって決めているけど、そうなの?」と。
比べることで見えてくる自分の立ち位置もあります。
比べるからこそ見える成長もあります。
だとしたら、比べる事も悪いと決めないで、「ああ、今比べているなあ。今は比べる必要があるのか?」と都度考えたらよいかなと思いました。

人と比べるから、自分を卑下してみたりすることもありますが、それが周りから「謙虚」とみられるのか、「嫌み」とみられるのかは、受け取る人次第なので、あまり意識しすぎて、一段と小さくなるよりも、「ああ、比べちゃっているなあ。もう私ってば」と言えるくらいの私でよいのかなと思いました。

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