成長は自分も人も見ている

成長って不思議ですね。自分で感じているものと違う部分を他は見てくれていたりすることもあるんだなと思います。

人の評価ばかりを気にしていた時期を経て、自分で自分の成長を認められるようになってからは、自分の成長ペースが遅い事も納得して、自分らしい背伸びしない成長を続けてきたような気がしています。

そんな事が続いてきた今まで。
ふと気づくと、「小林さんって凄いよね」「へ?何が?」と言う会話があったり、「小林さんのコーチングは勉強になります。」「いえいえ、まだまだ拙くてすみません。」だったり、「講座を拝見したいですが、どうしたら拝見できるのですか。小林さんから学びたいです。」「大したものではないですよ」など、自分でついつい否定してしまいたくなったり、お言葉が勿体無すぎると思うような評価をされたりすることもあるようになりました。

これは自慢ではなく、本当に呆気に取られる事なのです。
でも、私がそう見せていて、そう感じさせているのだとしたら、私が魅せたいように見てもらっているのかもしれません。
つまり、成長を見てくれていると言うよりは、自分が魅せたいと思っている自分が見えているんですよね。きっと、どこかで「こうなれたらな」と目指している自分の成長過程を、人は垣間見てくれているんですよね。否定することではないのかもしれません。

今回のノーベル賞受賞の山中伸弥さんが、「マラソンよりもはるかに長い時を走り続けていく」という表現をされていましたが、まさにその過程を周りから認められて、これから山中さんの研究はまだまだ続いていくのですよね。

成長というのは、過去の自分と今の自分との差ですよね。人はその差を見ているのではなく、その瞬間を見て、自分についての評価をくれています。ある意味、今の自分がどう映っているのか、周囲の人達の目を通してみているという事です。
その評価が自分の思惑と違っていようが、合っていようが、それは関係なく、相手の目を通して見えた自分の成長を感じていくことも、自分自身を認めていくためには、大切なのではないかと思いました。

だからこそ、周りからどう見えているのか。現時点を聞かせてもらうことは貴重なんだなと思いました。
私であれば、「いえいえ」と否定するよりは、「どこでそう感じたのか」って聞き返してみると、本当はいいんだろうなあ。

自分にとって、嬉しいけれど、「そうなの?」と思う事を伝えられて、ドギマギばかりしていたけれど、これからは、折角頂く周りからの言葉を否定ではなく、大切な言葉として、受け取っていき、自分の成長のバロメーターの一つにしていきたいなと思いました。

きっと否定したくなったのは、私はもっともっと先を目指していて、謙遜しながらも、「自分はもっと上を目指しているから、この低いレベルを評価しないで」なんて、驕った気持ちもあったんじゃないだろうか。私って、どんなお高く止まった人なの。お恥ずかしい。
そんな反省も込めて、ここに記しておきたいと思います。

そして、部下には成長を、出会った方で本当に素晴らしいと思える方にはそのことを、言葉として発信できたらなと思います。

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