自分の中の「普通」が制限をかけているのではないか

コロナ禍で出張が減った分、自宅に居ることが増えました。この生活にも慣れてくると、これが勤めていた時の生活だったなあと感じながら、独立してからの生活が凄く特殊だったのかもなあということを改めて感じました。

改めて、「普通」「当たり前」って自分達が決めているんだなと、出張が多い時の生活も、今の生活も「普通」と受け容れていることで感じる事ができました。

他の事でも、「普通」「当たり前」は自分か自分達が決めていて、他の人にとっては違う「普通」があるんですよね。良く話はしている側なのですが、違いを受け容れるということで良く使っていたので、自分の中での変化をこうして状況や環境に応じてきた事には鈍感になっていたような気がします。
自分の中にも変化は生まれ、「普通」は日々変化していっているということ。もっと言えば「普通」と思ってしまうことで、自分に制限をかけてしまっていることもあるのではないかと。

他人を許容するためだけでなく、自分自身の「普通」からもう少し解放されてみても良いかな。きっとそれはコーチングの中でトレーニングされていて、容易にできるのかもしれませんが、そもそも気づいていなかった自分の制限に気づくことは、自分では難しいのかもしれません。

先日、コーチとの話しの中でも、「こんなこともしてみたい」と話したことが、少しだけ進みました。自分の中で「普通は無理だよね」と決めていたんだと思います。けど、制限をかけていたのは自分なだけでした。
制限を取り除くためにも、自分の中だけの「普通」にちょっとでも気づけたら、何かが変わるのかもしれません。

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