選ぶ情報と入る情報

新聞を取らなくなって思うこと。情報が偏っているなということ。
なので、ネットのホーム画面を新聞サイトにしました。

新聞はなくて良いと思っていましたが、どうしてもネットが優秀すぎて、自分の興味のありそうな記事を選んでくれたり、速報記事を伝えてくれるので、その情報だけをうのみにしてしまうのは違うと思い、その後にちょっと他の関連記事も読んでみることにしました。それでも、やはり関連情報なわけで、偏りは更に強くなっている気がしました。

選ぶ情報も大切だけれど、たまたま入る情報も大切だなと思う今日この頃です。
視野が狭くならないためにも、新聞などは必要だったんだなあと思い、再開するのではなくペーパーレスは維持しながら、新聞サイトに登録しました。そして、ホーム画面へ。

そうなると嫌でも情報が入ってきます。
普段目にしないであろう記事も入ってきます。
それでも、読む記事は限られてしまいますが、見出しだけでも見ているのとそうでないのとは違うなあと、つくづく感じました。

特に、コロナ禍で直接お話しできる機会が減ってしまったために、違う視点が入りにくくなっているのを補ってくれるのは、入ってくる情報だなあと感じています。

自分にとって不要な情報もあるとは思いますが、社会にとって必要な情報だとしたら、目に触れさせておきたいなと思いました。

今日も、都内で自宅マンションを手放さざるを得ないという情報を得て、今こうして家に居るのが当たり前だと思っていた自分に気づきました。自分の中での当たり前が、そうでない事もあるということを知るのは、選ぶ情報ではなく、入る情報でしか感じられないんだと思います。

入る情報も大切にしていこうと思います。

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