始める事と止める事のエネルギー

コロナ禍で、特に伺うようになった事は、「止める」と言う選択。
始める時も、結構準備期間を経て大変だったけれども、止めるというエネルギーはもっと必要なんだなあと感じます。

ある経営者様が親から代々引き継ぐ会社を他資本を投入することで存続をしようとしましたが、このコロナ禍でそれも難しくなり、休止か清算かを悩まれて、清算できる時に清算し廃業されました。
けれども、代々続いた会社を廃業するまでには、社員達の就業先を見つける事や、取引先に説明に伺うなど、気苦労が絶えなかったそうです。

私の父も今から思えば本当に凄い人だなあと思いますが、社員として勤めていた会社が廃業をすることになりました。
その時に多くの人達が生活のためにも早めに次の仕事を決めて辞めていく中、平社員の父は「廃業する日までお客様は居て、お客様に罪はない。だから、最後の日まで勤めるんだと仕事も見つけず、ひたすら減っていく社員の分も働きました。仕入れ先の支払いが優先だということで、父にそのころのお給料が支払われたのは数か月後。にも拘わらず、母も父を責めることもなく、仕事先が見つかる間は、会社の片付けもお世話になった会社へのご奉仕だと言って、手伝っていました。

その父がこんな雰囲気の事を言っていたのを、今でも覚えています。
「始める時は勢いもある話だから、あっという間に感じるのに、止める時と言うのは今まであったものがなくなることに向けて動くんだから、始める時よりも数十倍も数百倍もキツイ。社長は親から引き継いだからなおさらだろう。中には社長を恨んでいる人も居るだろうけれど、お父さんは恩を仇で返すような事はしたくない。ましてや、辛い決断をしたんだから、支える人が居ないと。お父さんがその役をできるとは思わないけれど、よく覚えておけよ。始める時には終わることまで考えておいた方がいい。お父さんは今回そう思った。だから、お父さんには社長は無理。ずっと会社員でいい。それでも辛いんだからなあ。」

子供ながらに、あまり口数の多い父じゃないからこそ、たくさん話したその時の父の言葉は耳に残っています。
また、そのころの社長にきっと父の思いは伝わらなくても、行動では伝わっていただろうと思います。父の思いのために、本当に家計が大変だったことも間違いないのに、文句を言う気にもならなかったです。父の「辛い」という言葉を聞いたのは初めてだったからでしょう。

今、廃業を選んだ零細企業の社長や、事業部がなくなるリーダー、支店を閉じる店長、会社をやめる社員、学校を辞めざるを得ない学生、などの話を伺う機会も多く、その父の言葉を思い出します。

とは言え、大変ではあれ、どの人も未来に活路を見出すための決断だと信じて話を伺っています。
今の大変な想いもたくさん話してほしい。そして、その先の未来を創造していく支えになりたい。そんな想いです。

辛いよ~、苦しいよ~、って吐き出せる場があって、吐き出しながら少しずつ前に進めばいいのかなと私は思ってしまいます。

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