拘りが自分を苦しめる事もあるんだなあ

昨日は大きな決断をしました。それは、公開セミナーの延期です。私にとっては絶対したくないと思っていた位、大切にしている場です。
決断をしたことには、皆さん優しさを下さいますが、自分の中では悔しさがあります。それはなぜなんでしょうか。

昨日は、すごく悩んでいました。というよりは、どうしたら皆さんに知られることなく、研修やセミナーを乗り越えるかでした。というのは、家族が突然倒れてICUに入ってしまったのです。昨日やっとのことで個室に移動したので、ホッとして仕事に専念できると思ったのですが、なんと「ICUではなく個室でないとICU側に負荷がかかる」という事もあったようです。もちろん、患者のためでもあるとの事です。

しかし、今週は何が起こってもおかしくない。様子が一変することもある。だから今週が本当の峠であると聞いて、今週はやれる精一杯をして、研修にも集中しようと、ここでもまだ研修の事、関わる企業様の事を考えてしまっていました。

家族も「仕事は大丈夫なのか」と気にしてくれますし、私のできることを精一杯やるだけで大丈夫なんだろうなと勝手に考えていました。
ところが、やはりどうも気になります。
とうとう、話ができそうな方に連絡をしてみました。
すると、自分でも仕事より家族です。里江さんの普段の関わり方を知っている人なら解ってくれるはずです。と仰って下さいます。正直、涙が出ました。相手の優しさと、自分が決断できないもどかしさに。

けれども、やっと決断をし、毎月大切にしている研修を二つ来月までお休みさせていただくことにしました。

「大丈夫よ。家族を大切にしてください。」温かい言葉なのに、後ろめたさを、悔しさが決断も後も残りました。
私の中で研修業もやっていくと決めた時に家族にも「いくら親の一大事であっても立ち会えず、研修をしなければならないこともあると思う。その覚悟で責任を持ってやっていく」と宣言しました。

その宣言以来、「先に入っている予定が優先」「研修はどんな理由であろうと土壇場では断らない」「企業様に関わる以上、企業様に甘えない」という3つを決めて、実行してきました。
それだけは守ろう。それだけは絶対に。という強い思いがあったのです。強いコダワリと言った方が良いでしょうか。

結局、そのコダワリが故に、今回はそれを自分で破る悔しさや、苦しさがあるのだと、今痛感しています。
人って拘るとこんなにも、そのことを破る事に罪悪感を感じるものなのですね。

周りは「家族なら当然」と言ってくれていても、それでも自分の拘りが自分を苦しめるんだなと。

今回の件は、まだ自分で解っている事だけれど、普段は解らないで悩んだり、苦しんだりしていることってあるんでしょうね。
今回の大きな事でこの拘りを実感し、それを破る時の悔しさも体験しています。けれども、「絶対じゃない」「後悔しないための決断」と思えるようになるには、少し時間がかかるのかもしれません。

ただ無意識にこうした拘りがある場合には、ずっと悩んだり、何だか解らない苦しさにおそわれる事もあると思うと、まずは拘りに気づく事の大切さも感じました。本当に未熟だなと感じる事ばかりですが、自分の見えてない拘りをまた見つけてみたいなと思います。

今は自分の精一杯のごめんなさいを言い切ったと思ったら、今回の事を少しでも軽く考えられるようにしていきたいものです。
後悔のないように決断したんだよな。今は、こうして言い聞かせ続けよう。悔しさを感じている自分も噛み締めながら。

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