相手に見えていないだけでなく、自分自身でも見えてない部分をどう見えるようにしていくのだろうか。
メンターと話していて、まだ知らない部分、気づいていない部分でもあるからこそ、「知らない」ということにもまだ気づけていない部分もたくさんあるはずだが、それにどうアプローチできるのかという課題に突き当たりました。
何度か触れることになった課題ではありますが、そもそも今解っていることがほんの数%にも満たないのだろうと思うと、見えない部分をどう知ることができるのだろうか。
とにかく疑似体験として本を読もうと思ったこともありますが、読める本の数も限られていますし、すっと入ってこないものは、結局忘れてしまうように思います。私だけなのかもしれませんが・・・。
だとしたら、私なりに新しい何かに気づく、知るということは、何からどう発見するのだろうか。
相手も自分も見えてないことを、どう見つけていくのだろうか。
他の人の話を聞くといっても、本と同じように、会ってお話できる人の数も限られる・・・。
そう思っていると、ふと「短期間でたくさんを手に入れようとしている自分」に気づきました。
もったいないだけではなく、どうしてそんなに私は「短期間」で手に入れたいと考えるのだろうか。
時間が有限であることに気づいているから。これも新しくない。
でも、短期間で手に入れたいと思っている自分には始めて気づきました。
思考することに価値がある?
けれど、思考自体が同じ私の考え方の中で考えているはずだから、それほど新しいことに気づけることはないと思います。
また他に目を向けてみました。周りのありとあらゆるものに。
あれ?こんなところに花が咲いていたっけ?
あれ?この本がすっと入ってこないのは、私はこの分野が苦手ってことなのかな?
周りに見えてないものはないかなと考えるだけでも、たくさんのことに気づけることを発見しました。
同じ景色を同じように見る癖があるだけで、「違うものにも目を向けてみよう」と考えるだけで、違ったものや、気づいていなかったものに気づくチャンスはたくさんあることに気づきました。
新しいものは新しいところにあるだけではないことに気付かされました。
まだまだ見えてないものがたくさんあるならば、ちょっと見えていなかった部分を見てみよう。感じてみよう。
そう思って今日から過ごしてみたいと思います。
見えないところを見るというのは、感性を磨くということもあるのだろうと考えてみました。
あなたは、見えていないものをどう見つけていきますか。
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