気がかりを口にする

「不沈船だったはずのタイタニック号はなぜ海の底に沈んでしまったのか。そしてなぜ多くの犠牲者を出すこととなったのか。」
唐突かもしれませんが、ここには凄く大切な、私達の学ぶべきことがあるそうです。
それは、

いくつか原因はあるのでしょうが、開いていてはいけないはずの扉が開いていた。救命ボートが絶対数不足していた。この辺りは受け継がれているものとして有名だそうです。
が、「あれ?なんでここ(扉)が開いているの?」「万が一にでも何かあったらどうするの?救命ボートが不足しているのでは?」など、気がかりな事があるにも関わらず、「誰か入って居るんだろう」「沈まないと言っているのに、救命ボートの心配なんてしちゃいけないよな」のように、気がかりを口にする人は居なかったそうなのです。

原因調査をした人達は多くの原因を後から探り当てるわけですが、あまりにも単純なミス等が重なって悲劇が起こったのは、そもそも気がかりを口にする人が居なくて、確認や議論を怠ったせいだと言われているのだという事を、かなり昔になりますが、セミナーに参加した時に伺いました。

気がかりを口にすることが、いかに大切かを知りました。

最近、ちょっと心身ともに疲れていたのか、風邪をひいて寝込んでしまいました。
身体が思うように動かず、やりたいこともやれず、中途半端になったのが悔しくて、情けなくて・・・。

でも、考えてみたら、数日前から喉は痛かったのに、なぜ早めに薬を飲まなかったのだろう?「あれ?風邪かな?」と思っていたら、薬を早めに飲めただろうに。

ある出来事に振り回されている自分が居て、感情の起伏が激しくなってしまっていたのに、起伏があるのを極力抑えようとしては居ても、「自分が何とかしなくてはいけない」「相手が居て、その人の方が大変だから私が我満するしかない」と自分に言い聞かせる事はありましたが、「このままだとどうなってしまうのだろうか」と気になっていたのに、そこはスルーしていました。

結果、心身ともに疲れてしまったのか、ダウン。
もっと自分の気がかりを、周りを巻き込みながらでも軽くできたなら・・・。

年齢のせいもあるのか、最近はプライベートな時間の中でダウンすることが多くなっていて、仕事は研修やコーチなどはしっかり集中しているが、それ以外の仕事もダウンしてしまい、ままならなくて、本当に頭は使えるのに、身体が何とも言うことを聞いてくれない状態が何度か続きました。

こうなると、迷惑をかけてしまう方もいらっしゃって、人に迷惑をかける事だけはしたくないのに、その自分の価値観すら全うできなくて、本当に悔しかったです。

身体は休めるように気を配っていたのに、張り詰めた精神的な事に関しては、「私は我慢するしかない」と我満をしすぎてしまいました。

そんな体験をしてみると、周りに対する気がかりは、仕事以外、口にすることを躊躇っていた自分が居ます。少しご相談した人もいらっしゃいますが、ほんの一部しか相談できておらず、後は我満をしてしまいました。

気がかりを止めたのは、「私が我慢すれば良い」「自分の心配なんかより、周りの事が大切」「自分のことまで心配している暇はない」と思いすぎてしまっていたからだと今更ながら思います。

でも、今回、また寝込んでみて、気がかりは口にしなくちゃな、と思いました。
もう少しだけでも、自分の事も大切にしてあげようと思いました。
何よりも、自分の考え方に囚われ過ぎて、気がかりを無視してしまっていたのならば、せめて周りの人が気付いて、気がかりを口にしてくれていたのに、そのことを無視することはやめようと思いました。

とは言え、また自分後回しにしてしまいがちなので、わがままを言える人の前でしか自分の事を気遣ってあげられないとは思いますが、それでも、そんな時以外に我慢してしまっている気がかりについて、無視をしないで、向き合う時間を少しでも取っていきたいと思います。

まだ復調ぎみなだけで、どこか風邪が抜け切らない状態ですが、「大丈夫かな?」という自分への気がかりも大切にしながら、周りに迷惑を少しでもかけずに済むように過ごしていきたいです。大好きな仕事に心地よく関われる体調管理もしていこうと思います。

あなたが、思わず流してしまっている「気がかり」ってどんな事ですか。

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