一人でできたわけではない

何もできないなら、できるようにすればいい。
簡単な言葉に見えて、凄く大変な事だと改めて思い知りました。

出来ない事が解っていても、完成形だけイメージがある場合、そこに行きつくまでのストーリーを本当に何度も何度も練り直し、やってみては失敗し、また最初からのやり直し。
本当はできないものなのだ!と決めてしまえば、あっさり終われるのかもしれないのですが、それもまた悔しい。

ただただ何度もやり直して、作り直して、たまに嫌になりながらも、続けて、ふと閃いて部分的に上手くいったように見えるのに、全体として完成しない。

そんな中、やっと完成してみたら、「(完成が)遅い」と思われて、完成したものよりも「遅い」という事の方が評価されてしまいました。

どれだけ考えて、どれだけ良いものを作ろうと思ってきたのか。
半端なものにしたくなくて、やってきた結果がこれか・・・。ショックも大きいです。

けれども、その反応が悪いわけでもなく、確かに悩みすぎたものも事実です。自分に妥協できなくなってしまっていたのです。
相手の事以上に、きっと自分の出来ばえに固執しすぎてしまった結果が招いた事なのです。

仕事は、この生みの苦しみ(?)が少なからずありますが、一人でやっているわけではないので、私に足りなかったのは、途中での報告だったのかもしれません。
集中しすぎると、報告まで意識が回らず、一緒に喜べる環境をなくしてしまいました。

改めて報告って大切だなあと、思いましたし、諦めずできる事が自分の自己満足に終わらないようにしないといけないなと思いました。

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