価値観は押しつけと、躾の違いって?

躾って何ですか?価値観の押し付けとは何が違うんでしょうか?
躾は、社会でのルールを習慣化することだと思いますが、何が相手を不快にさせるのかを考えていくことも大切で、不快ではなければ、ただの価値観の押し付けに見えてしまうのではないか。

娘が、祖母に向かって「ババア」「うるさい」と言う。私にも「邪魔」などと平気で言う。
平気に使ってほしくない言葉だから、注意をしても聴かない。
根気よく伝え続けるしかない。

相手にどう聞こえているのか、言われたらどう思うのか。問いかけもするが「別に」と返ってくる。

娘のイライラの原因は、自分の思い通りに楽しいことばかり起こらないこと。宿題をしないといけない。それが苦痛で、暴言を吐いてスッキリさせようとしている。状況は解っても、言われている人は不快に感じる事は、言ってほしくない。
娘にそのことも伝えてみるが、聞く耳がない。

けれど、繰り返し伝えるだけです。「仮に価値観の押し付けであろうと、人を傷つけるのは暴力だけでなく、言葉の衝撃が大きい事は体験しているから、許すことはできない。」そう思って何度と無く、娘に伝え続けています。

しかし、職場でお茶の入れ方が気になった事がありました。
茶道をしているわけでもありませんが、最低限のマナーは身につけているつもりです。けれど、その「最低限」さえ知らないお茶の入れ方に対し、教えるべきかどうかを躊躇したことがありました。
仕事で接した人なので、知らないだけかもしれないし、お客様を不愉快にさせてはいけないと、教えました。

しかし、「これって、守らないと、相手に失礼になるものなのですか。」と質問されました。
「湯のみに、熱いお茶を目一杯注いだら、熱くて持てないよね。相手への気配りじゃないかな。」と話すと、「へえ、じゃあ失礼ではないんですよね。多めに入っていた方が、サービスじゃないですか。」と。

思わず黙ってしまいました。そっか、この人にとっては「おもてなし」のつもりだったんだと。

そう思ってしまうと、躾も見方によっては、価値観の押し付けになっていることがあるのかもな。と。
本当に相手を思いやったおもてなしとは何なのか、から共有する必要があるんだなと考えさせられました。

娘への躾に四苦八苦するのは、当分続きそうですが、企業でのマナーは、それがどんな意味を持つのか、自分自身も改めて考えていく必要はあるのだろうなと思いました。
あなたは、躾と価値観の押し付け、どんな違いがあると思いますか。

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