何かが変わるのはエネルギーが要る

先日、携帯を替えました。というのも、仕事で使っているのに、途中で電話が切れてしまったり、一日に何度も再起動を勝手にするようになってしまいました。
まあ、「4年近く使っていたなら仕方ないですよ。」と言われ、壊れる前に交換しようと、やっと重い腰があがりました。
替えてみて思ったことです。

何かを替えるって言うのは、すごくエネルギーが要ることだなあ。
だからこそ、現状のままを望むというのも当然のことなのかなあと思いました。

「替えなれば壊れてしまって、そのあとが大変困る。しかもその困る時期が非常に近い。」と思ったから、意を決して替えましたが、そうでなければ、慣れたものを、慣れたように使えば、反応も予想が付きますし、ツールとして使うにはストレスもないんですよね。

なのに、4年もして交換してみると、動きも違えば、扱い方も全く違います。

電話に出ることはできるだろうけれど、見覚えのないモノが画面に存在していて、間違えて押しそうになりました。
また、「こうだろう?」と思っていたことと違う反応が起こると、「これでいいのだろうか」と感じてしまいます。
すぐに結果が出るものなら良いですが、あっているのかどうかも解らないと、不安があって、どんな反応があるのか不安になります。

進化していることもあるのですから、自分が使いこなせないことに少しガッカリしたり、便利だなと感動したり、一喜一憂さえもエネルギーを放出している感覚があります。

ツールとして活用するはずが、ツールに振り回されている自分を感じて、ショックも受けたりします。

これは、携帯を買い替えたことについてのみではなく、PCを替えたときにも、キーボードの間隔は配列一つとっても、今までと同じようにできない歯がゆさがあったり、業務で新しいことをするときもそう・・・。

そう考えると、新しいことをするというのは、凄くエネルギーが要ることなんですよね。
それでも、進化していける企業が残り、柔軟に変化していける人たちがその中で自らの力を発揮していけるわけです。
変化に柔軟に対応していくことは、常に新しいことにもエネルギーを注ぐことを惜しまないことでもあるのかもしれません。

私も含め、そのエネルギーを「無駄」「面倒」などと悪者扱いしてしまうと、柔軟どころか頑なになり、周りとの溝を広げるだけになってしまいます。
けれども、その人だけを見れば、安心できて、エネルギーロスのない世界に居るように見えます。

これからの世の中、柔軟性というのは、新しいことに向けてのエネルギーを惜しまず出していける人にのみ与えられるものかもしれませんね。

携帯を替えるに当たって、迷いなく、「いつもの」契約会社を選んでいるのも、本当は選択肢を広げて、今何が私に必要なのか。これからのために何が必要なのかを優先して考えていけると違うのかもしれませんね。

まだまだ「安心安全」でエネルギーロスだと思ってしまっている部分があることにも気づけた今回の出来事でした。

あなたは、ついつい守ってしまっているもの、変化を拒んでしまっていることってありませんか。

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