認められたいあなたへ

「褒めてほしいんです」
「認められたいんです」
と聞きますが、誰にでも、どんなことでも良いわけではないだろう。誰に認められたいんだろうか。
何を認められたいんだろうか。

私の場合ではあるけれど、ずっと100点じゃないと怒る父に育てられた小学生の頃、頑張ったのに褒めてもくれない父にずっと褒められたかったんだと今だから思います。

他の人に「凄いね」と褒められても少ししか嬉しくなく、いい子だねと言われても、謙遜ではなく「そんな事はない」と思っていました。傍から見たら、可愛気のない子供だったろうと思います。
けれども、ずっと父に「頑張っているね」と言って欲しかったのでしょう。

ただ、大人になって感じたのは、父が褒めなくても「よくやっている」と思ってくれている事を言葉ではなく、目などからも伝えてくれている事でした。
言葉で言ってくれないと解らないけれども、私も「認められる事に必死すぎて、相手を見てなかったのではないか」と感じた瞬間でした。

就職して、初めて気づけた父の気持ち。そして、気づいたこと。
そこから私は、今までのような「自分が好かれているか、嫌われているか。」を観察するのではなく、「相手自身」の観察をするようになってきました。

私も言って欲しいと思っていた事があるからこそ、相手が凄いと思えば伝えるようになりました。けれど、私に言って欲しいわけじゃない人も居るだろうから、相手からも認められたいと思うわけでもありませんでした。ただ、伝えるようになったのでした。

そうすると、不思議とそういう人の間からも「あなたはお父さんがいつも自慢しているだけの子だねえ」と、周りまわって父の直接聴こえてこない言葉が伝わってきました。それは素直に嬉しかったのです。その後もずっと、周りの人の事を見ては、感じたことは伝えるようになりました。特にありがとうは絶対に・・・。
そして、父にもありがとうと言えるようになったのは、結婚した後でしたが、それから言えるようになり、父からも直接言葉が聴けるようになりました。

認められる事が目的じゃないはずなのに、いつの間にか認められる事のために、必死になっていた自分に気づけた時、やっと本気で周りを見られるようになった気がします。(それまでも自分では見ていたと思っていました。)

あなたは認められることが目的になってないでしょうか。

あなたは認めて欲しい相手の事をあなたはどのくらい見ているでしょうか。

あなたはどんな自分と認めて欲しいのでしょうか。自分自身は自分の事を認めていますか。

正直、今でも私は、認められたい!という衝動に駆られる事は沢山あります。
でも、そんな時には、自分自身をまず認めてない時期なんだなと客観的に感じられるようになりました。言わば、ステージの上がる成長の準備が出来た時期なのかなと。

そんな時には、自分を認めてもらいたくて、必死になってしまうけれど、本当は、そんな時ほど叱ってくれる人の方が貴重な気がしています。
だって、成長の準備ができているんですから。

あなたも成長の準備ができている時期なのではないでしょうか。
一歩踏み出すって勇気が要るかもしれませんが、不安がっていてもいつまででも進めない。ほんの少しだけ、前に進んでみませんか。
そのために、叱ってくれる人を大切にしてみませんか。

それでも、相手に認めてほしかったら、まずあなたがその人を認めてみませんか。

ちょっとだけ視点を変化させるだけで、違うものが見えてくるかも・・・。

自分も今、成長の準備が出来た時期です。
不安いっぱいでも、一歩、踏み出してみようと思います。エイッ!

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