革新は、安全な場からは生まれない

革新と言われるほどの変化や新しいものは、「安心安全な場」からは生まれないんだなと思いました。

今までは安心安全だからこそ、頭を柔軟にと思っていたけれど、人の性質として、今を「普通」だったり、「最高」としてみてしまうと、「その中」から何か新しいアイデアを生み出そうとしたら、生まれない。なぜなら、「その中から」という発想がなかなか脇に置けないからです。
きっと、日々の生活から気づくなら、もうやっていますよね。コーチングが効果があるのは、他の側面や視点を持っているコーチが違うアプローチで質問をするからであったり、「その中」自体に疑問を持てるからなんですよね。

しかし、自分の思考の中でだと、なかなか発見できないんですよね。

例えば、鏡を見て、見慣れた自分なハズなのに、「あれ?こんな所にほくろがあるんですね」と言われて、初めて自分のほくろを発見することってありませんか。毎日見ているのにですよ。

かと思えば、足をキレイに魅せたいなと思っていた頃に、スニーカーばかりの私にはハイヒールを履くという発想もなかったし、発想できても、あれでは自分は歩けないと思っていました。けれども、「ハイヒール履かないの?」と聞かれたり、「履きやすいものもあるんだよ」と教えてもらったから、今は履いているんですよね。(ただし、私の足はキレイには見えませんでしたが・・・)

これを安心安全を超えてみるというのかというと、違うのかもしれません。
しかし、自分の枠の中に居ると、見えないこともあるし、自分がその枠の中に居ることさえ知らずに居ることもあると思います。これを敢えて「安心安全な場」と呼びたいと思います。
その安心安全を超えた時に、新しい発想が生まれるのかなあと。

自分でその事をしようとすると、いつもと違う事をしてみる。いつもと違う場所に行ってみる。いつもと違う人に会ってみる。そんな事からも、枠を超えていく事はできるのかなと思います。

とある企業のマネジャーさんとコーチングをしているのですが、その方が「それは無理なんで・・・」という前提で話される事が続きました。
気になって「無理というのは、どういう判断なのですか?」と聴いてみたら、「僕が決めただけです。でも、僕の経験からは無理だと解るんです」と仰っていました。

そうは言ったものの、気になったマネジャーは、そのコーチングセッションの後、部下に「君にこういうレベルまで到達して欲しいと思っているんだけど、どう思う?」と聞いたそうです。すると、部下は「ありがとうございます。でも、どうなっていったらいいのか僕には解りません。一緒に考えて下さいますか」と目を輝かせて言ったそうです。

次のセッションで、この話をしながら、声が楽しそうなのを感じました。そこで「で、そのあとはどうされたのですか」と聴いてみたら、具体的に部下と相談して、段階を設けながら、レベルを徐々にあげていくこと。そのレベルに到達するのを一年後に設定したことなどを楽しそうに話して下さいました。

そこで、「前回は無理と仰っていましたけれど、今はどう思いますか」と聴いてみました。「もちろん、彼ならやってくれるでしょう。僕は彼の将来を潰すところだった」とちょっと恥ずかしそうに伝えてくれました。

一人に対する事でさえ上司が「変わらない」と決めつけていた事で、変われないはずだったのです。
それが、ちょっと自分と違う視点で部下自身に決めさせることで、変化は起き始めています。

「いつもと同じ」事は悪いことではないし、これも素晴らしい事だと感じます。けれども、変わっていく部分も大切だとしたら、「いつも」だから気付かない視点を気づかせてくれるのは、その枠の中から、どうにかして一度出てみる事なんですよね。

それは勇気が居ることかもしれません。変な目で見られるのではないかという恐れがあるかもしれません。
でも、そこに居続けるのではなく、ちょっと席を変えてみるという軽いつもりで、見方を変えるためであれば、それも「いつも」を知る事もできるし、違う見方のきっかけになるのかもしれません。

私自身もすぐに、枠に囚われちゃうのだけれど、ちょっと外から眺める機会を、これからも意識的に作っていこうと思います。
(ちなみに先週は写真を撮られる事が嫌いだったけれど、挑戦してみて、今は大丈夫になった気がします。そうなるだけで世界が広がるようで不思議ですよね)

コメント

タイトルとURLをコピーしました