今何を求めているのか

この題でブログを書こうとした日は3月11日でした。この日は太平洋沖の地震があった日です。この日の朝、題だけ書いて保存しておいたものですが、今思うと、自分自身からのメッセージだったのかと思います。

今、自分が何をしたいのか。そして、周りの人達は何を欲しているのか。片側だけではなく色んな面から考えてみようと言う話を書こうと思っていたのですが、結局この事を実行したのが、その当日だったのだと思います。
すぐに書いても良かったのですが、少しだけ冷静になってから、改めて書きたいと思ったのが今日です。

この日、私は研修中に地震を体験し、その後一人で宿泊先で余震の中で震えていました。
そんな時に、スカイプが繋がってくれたので、スカイプを通して励ましてくれる人や、違う話しで気を紛らわせてくれる人、大丈夫だからねと安心させてくれる人などに助けられた気がしました。
後々聴いてみると、不安げな様子の私が求めているように感じたからとのことでした。

人は言葉に出さなくても発するものがあります。
その言葉にならない思いを感じてくれたのだとしたら、嬉しいことだけれど、日頃からの関わりがなかったらこんな事はなかったように思います。日頃の関わりが、こうした時にも「言葉にならない思い」を伝え合うきっかけになるのだと思いました。

私自身は、きっと大変な人達は優先順位が家族一番のはずだからと、当日の連絡は避けましたが、次の日やその次の日などに、思いつく方々に数件連絡をしました。元気そうな声を聴けてほっとしたり、無理しているのを感じて思いを話してもらったり、私にできる事は小さくても、相手が求めているであろうことを確認しながら、していたように思います。

今、何を求めているかを察しあうのは、言葉だけじゃない。日頃の関わりがあってこそなんですよね。
そんな事を再度思いました。
この考えは1ヶ月近くなる今も変わらないです。だからこそ、今ここに口にしたいと思います。

言葉にならない「今」の相手の声を聴けるのは、日々の関わりは欠かせません。
けれども、かと言って、確認しないと独りよがりになってしまうこともあります。
どんな時も関わりを絶やさないで欲しい。人は一人では生きてはいけないのだから・・・。
与え合って生きていくのだろうから・・・。

コメント

  1. 朝青龍 より:

    ご無沙汰しております。3月11日午前中に東京で偶然お会いして、午後に大地震になりました。東京では、公共交通機関が全部ストップしてしまい11日には帰ることができず、次の日の夜中に栃木に戻ることができました。私も家族や社員さんが心配で電話をかけました。しかし、連絡が取れず本当に心配でした。なんとかメールで無事が確認できたので何とかなりました。早く帰らなければならないと思いましたがどうにもなりませんでした。お互い無事で良かったですね。今後も自分ができることをやっていこうと思います。

  2. coachsmile より:

    朝青龍さん

    本当にあの日は衝撃の日になりましたね。
    はい、お互いにできることで、すべきことも見つけてやっていきましょう。

タイトルとURLをコピーしました