最期のイメージ

異動が発表される時期ですが、最近お会いしたクライアントさんとのお話を許可を得た部分のみご紹介します。
異動が決まった彼女の思いです。

彼女にとって、今回の異動は、10年以上なかった異動だったので、躊躇いもあるのですが、どこか状況として、会社からの配慮を感じた有難い異動なのだと感じているそうです。

その彼女が、異動前の3月末までに「残したいイメージ」は、「いつも笑っていたね」「いつも前向きだったね」というイメージなのだそうです。

しっかりと笑顔で前向きに居たいのに、なかなか状況から考えて、その笑顔で前向きというのが簡単なことではなく、無理をして笑っているように私には見えました。

「正直、無理しているイメージが残ってしまう気がするんだけど」と私に伝わるイメージを伝えると、「そうなんです。笑うのが辛いです。笑わなくちゃと思えば思うほど辛いです。」と。

確認しました。
「最近、仕事で楽しかったな、と思えたんはどんなこと?」
長い沈黙の後、彼女が「笑わなきゃに必死すぎて、楽しめてないですね。あれ?楽しいことや嬉しいことがないわけじゃないのに、全然楽しめてないかも。」と話すと、

「笑わなきゃ、では、笑えないですよね。楽しいことを思いっきり味わいます。
 それで、最後の日には、感謝も淋しさも全部吐き出せるくらい、みんなと大泣きしたいです。そのあと、また笑って『またね』って言いたいですね。」

その時の笑顔が最高で、私はその日が彼女と話すのは最後かもしれませんが、彼女の最高の笑顔が私の目に焼き付きました。

「この笑顔、忘れないからね。」と話すと、みんなにもそんな風に言ってもらいたいから、目いっぱい楽しいことを味わいます。と、素敵な笑顔を残して、最後の挨拶をしました。

彼女と別れた後、私はあの瞬間どうだったんだろうか。と色んな別れの場面を思い出しました。
そして、父や前の職場の社長との最後の瞬間は、どんな私が残っていたのだろうか。私にとっては、どんなイメージが残っているのだろうか。と、育ててくれて今からではもう会えない人達を思い出しながら、考えてしまいました。

自分の「最後」の瞬間は、たくさんあるのかもしれませんが、人生の「最期」は一回しかなく、その瞬間はほぼ自分でコントロールできないです。
だとしたら、日々をどのように生きて、どんなイメージを残したいのか。
自分を演出?できるとしたら、この瞬間の積み重ねなのでしょうね。

たまに思う人生の最期の瞬間、「どんな人だったね」と言われたいのか。
そう言われる日々の過ごし方は、どんなだろうか。
彼女との話を終えて、もう一度考える機会を頂いたように思いました。

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