ある時には気づかず、無くなると解る

栃木県に住み始めた頃、お米が美味しい事に感動しました。でも慣れてくるとそれが当たり前になり、美味しいと感じなくなってしまっていました。
けれども、違うお米を食した時に、「あれ?美味しくない」と感じたときに、「栃木のお米は美味しかったなあ」と改めて思いました。
同じような事はたくさんあるものですね。

補聴器のお試しでお世話になってみて、本当に音が聞こえてなかった事に気づきました。でも、雑音まで大きくなるから、人の耳はこんなに選別して聞いていたのかなという事にも驚かされました。
とは言え、少しお試し期間があったので、していると、聞こえるのが当たり前になっていた音が、返却して聞こえなくなった時に「あれ?聞こえない」と愕然としました。

ある事には慣れるのだから、無くなったときにはあれ?って思っても、これもまた慣れてしまうのだろうか。
無くなってみて初めて感じた「音の少ない環境」
良い体験をしてしまうと、音の大きく、音のたくさんある環境へ戻りたくなります。
良い体験はだからこそ、積み重ねると良いというのかなあ。でも欲張りになってしまわないかなあ。
いづれにしても、必要最低限の声は聞こえるようになりたいものです。そもそも耳が直るといいなあ。

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