都合よく見ていたのかも

先日、娘が低音声難聴という診断を受けた。半年ほど前に「耳が聞こえづらい」とは言っていたのに、ちょっと様子を見てみようと言っていたら、大変な事に。しかも、原因はストレスだとか・・・。子供の様子を振り返ってみると、我慢していることいっぱいありますものね。

気づいて、声をかけて、聞いているつもりだったけれど、どうも事情が解りませんでした。子供が、気にする私に、何となく話をしてくれました。聞いてみると、私ならどうだろうと、親でも悩む事でした。

そのことなんだなと思って、なぜか原因が自分じゃない事にほっとしている部分もありました。

が、知らないことがあるのかと思い、先生にも伺ってみると、「そう言えば、元気が無いなと思う時には、体調が悪いわけでもないのに、保健室に行く回数が増えていました。今思い出しました。何気にお母さんは?と聞くと、だいたいお母さんが長期出張の時でした。」と。

きっと、心のどこかで「そうだろうか?」と思っていたことが言葉にされ、「行ってらっしゃい」と見送ってくれる娘を私の都合よく受け止めていたのだろうと思いました。

私の大好きな経営者のお一人である朝倉千恵子さんが、手帳の一部を公開して下さったのですが、その中に「利他」「私利私欲に走らない」という言葉もありました。
実は、日々の生活でさえも、自分の都合よく物事を捉えて、「仕方ない」と自分に言い聞かせていることってあるのじゃないかと。

ただ、その「他」の対象が誰であるのか。「私」を誰と置くのか。これによって、家族の存在というものが「私」側に置かれて、後回しになっていることもあるのだろうなと改めて考えさせられました。

家族あっての自分、家族の支えがあって、利他のために動くことができると信じている私には、特にこの数年身にしみて大切にしてきたのに、それでも都合よく捉えていたのかもと思いました。
近いからこそ、言葉を交わさないと決めつけてしまうことって沢山あります。
家族だけでなく、毎日接する部下や上司でも。

色んな場面で、相手の事は聞いてみないと解らないからこそ、言葉を交わしていきたいものですね。
そして、時に自分でも「私」「他」の視点をどこに置いているのか、振り返ることも重要なのかもしれませんね。

あなたの「私」は、一人ですか、家族ですか、会社ですか。
そのことで、見えなくなっている部分はありませんか。

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