拘りが邪魔をする?

「リーダーとは●●でなければいけない」「母とは、当然●●だ」など、拘りって誰でも持っているのではないでしょうか。その拘りの影響って大きいのだなと思いました。

その拘りがあるおかげで、判断の基準ができ、決断する時には役に立つのかもしれませんが、この拘りのおかげで、その拘りに反する人にイライラしたり、自分をそうでなければならないと追い込んでしまう事もあります。

先日、ウツ病を脱した方とお話をしておりましたら、「私はもっとできるはずなのですけれど、それが出来ないことがもどかしい」と焦りを訴えていらっしゃいました。確かに今まで出来ていたことができなくなっていると焦るだろうなと思いますが、これも基準を調子がよかった頃においてしまっているので、結果的に自分を追い込んでしまっているように感じました。

私に言える事はなく、ただ「そう感じていらっしゃるんですね。焦っているのですね。」とそのまま仰った事をオウム返ししているしかありませんでした。

そのうちに、「そもそも、また病気が再発する事を恐れて、できないというよりは、しちゃいけないと自分でセーブしているという事もあるのかも」と仰って、やってみなければ判らない事なのに、全て抑制してしまっているという事に気づいたそうです。

それが良いのか悪いのかも正直私には判りません。だから、「そうなんですね」と伝えるしか術がありませんでした。
すると、その方がまたおっしゃいました。「これだけ安心して話した事は久しぶりです。こんなに普段私は、周りの事ばかり気にしているのでしょうね。みんなに優しくなくてはいけないとか、断ってはいけないとか、自分の中で、良い人になろうと思って、結構話したいことさえ話せなくなっていたのかもしれません。」とおっしゃいました。

その後、晴れやかな顔で、「自分の拘りが邪魔をする事もあるんですね。もう少し、私自身を解放して、言いたいことは言っていこうと思います。」と笑顔で去って行かれました。

その話を伺いながら、私自身も拘りのおかげで助かっていること、反対に抑制されていることがあるんだなと振り返る事ができました。
これからも「相反する両面があるのかも」と思うことで、物事の見方も変えていけるのかなと思いました。

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