人の育成こそが会社を存続させる

私の大好きな朝倉千恵子さんのコメントにありましたが「人材育成の意味」について考えさせられました。

私自身、人を育成する研修講師という仕事をしていて、私のノウハウを伝承してくれる人や、一緒にやってくれる仲間を持って行きたいと2年前から考え始め、3年以内に仲間を募れる土壌を作るという事を目指していました。それと同時に人材を探していました。

まだ人材は見つかっていません。けれども、この言葉を聴いて、はっとしました。
それは、良い仲間や後継者を探していこうと思ってはいても、後継者を「育てていこう」という事を真剣に考えていたかと言うと、違う気がします。

これは、私が部下を育てる事を勘違いしていた社員時代を繰り返しているように思えました。
部下に駄目だしをして、「これ程度も出来ないなら、私がやるからいいよ。」と心の中でつぶやきながら、育てる事が出来なかった時期があったのです。評価者になれても、育成者になれてなかったのです。

その頃というのは、目の前の仕事だけが回るために部下を育成すると思っていたのです。

けれども、自分の手が回らない程、仕事を抱えた時に、私の仕事を回せる人が欲しいんじゃなく、安心して任せられる人で、自分が居なくても仕事が回っていくように出来る人をまず作らなくちゃと思い始めました。

そうは考えられるようになっても、本気になれたのは、情けない事に産休前です。産休するために、私が居なくても回るようにしなければならなくなったからです。でも、正直、自分の仕事がなくなるのが淋しかったのです。

自分の仕事がなくなると、私の価値がなくなって、要らないと言われるのではないかと恐れていたのかもしれません。そのことに気づいた時は、「自分の事しか考えてないじゃん」と自分がすごく情けなく思えましたが、この事を話したら、それが心理学的にも普通なんだそうです。ほっとしながらも、本気で育成に取り組めるようになったのを今でも鮮明に覚えています。

そう思って育成すると、評価者ではなく、一緒に成長する「協力者」という立場に変化していったように思います。
その後、産休から復活しても、仕事は探せばワンサカあるのですよね。今までやりたくてもやれなかったことを形にしていくと、更に会社全体の成長や、皆さんの育成に目が届くようになり、数人の育成から、社員全員の育成という視点ができるようになりました。

数年後、父の病気を元に会社を辞める事になった時には、更に増えた私の仕事も教えたり、完結させたりすることで、問題なく会社が存続しています。
こういう事だったんだあ。

なのに、今は・・・・。

育成ではなく、育った人を探そうとしすぎていたのかもしれません。
自分の思い、自分の描いている夢を一緒に広げ、実行していける仲間を持つには、自分が語り、賛同してくれる人が居たら、その人を育成したり、その人とともに成長しあえたらいいんですよね。

朝倉さんのコメントを読みながら、多くの事を考えられた事に感謝です。
そして、その感謝は形にしていきます。

育成の意味について、改めて考えられた事で、これからの行動も変えられます。
あなたは、「育成」って何のために必要だと思いますか?
育成に本気で取り組めていますか。

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