ジコチューって悪くないかも

新年が明けましたね。皆さんはどんな2011年初日を迎えられましたか。私は家族とゆっくり過しました。その中で、ちょっと失敗から学んだ事があります。

子供が夏過ぎだったと思いますが、Wiiを欲しいと言っていました。しかし、あれもこれも与えたくもないですし、我慢と自分で目的を持ってお金を貯めてごらんという事で、小学1年生に貯金プラスお年玉でWiiを買うように家族で話し合いをしました。

それ以来、娘は少ない月のお小遣いをせっせと貯金箱に貯め始めました。けれども到底子供のお小遣いで買えるものではありません。12月になって焦りだし、お手伝いをするたびに「はい、100円です」と言うようになりました。「お手伝いは気持ちでするものだから、お金は気持ちを渡したくなるかどうかだよ。だから、先にそういわれちゃうと嫌だなあ」と言いつつも、お金を貯める目的を知っているだけに、ちょっとだけ甘くなってしまいます。

そして、昨日がやってきて、娘は「とうとうこの日が来た!」とばかりに、朝早くから実家に行きたがります。そうです、お年玉目当てです・・・。
結局、お年玉もその場で開けて、「よしっ、買える」とばかりに、近くの家電量販店に向かったのでした。そこで娘は誇らしげにお金を出し、Wiiを手に入れたのでした。

これはこれですごいことだと思いながらも、「お金お金」と言っている娘を見ると、ちょっと子供らしくないなとか、お金の意味を教えることが先だったなと反省もさせられました。目的を果たした事に対しては、すごいことだねと認めてあげられるものの、人としてのあり方を教えてあげられるのが親なのかなと考えた時、もっと別のものも教えてあげたかったと思いました。今後は、こうしたことも考えて、達成する喜びも味わってもらえるようなアプローチを考えてみたいと思いました。

この事をメールをくれた人に話してみたところ、こんな言葉をくれました。
「無いことを知っていると、有ることに感謝できるものね」
Wiiがないことを体験し、手に入れた現在は、ゲームをするために早々に勉強を終わらせたり、終了時間を宣言して楽しんでやっています。これも「あることが嬉しい」と思えるからなんだなと感じました。
けれども、娘はまだ人に頼ればなんとかなる状態にしか身をおいていません。人に頼っていてはどうしようもならない状態もまた体験させてあげられる時が、これからやってくるのかもしれませんね。

今回の事は私にとっては、課題の残る体験となりましたので、失敗とは言いましたが、娘にとっては貴重な体験だったのかもしれません。

きっと、こうして親子、上司と部下、先生と生徒と言った、一件上下があるような関係の中でも、お互いに違う視点で学んだり成長したりすることは無限にあるのでしょうね。
そうした関係で居るために必要なものは、
「自分で変えていける」と思えることなのではないでしょうか。これが良い意味の「ジコチュー」なのかなって思いました。

コメント

  1. マグロ船 齊藤正明 より:

    なるほど、複雑なところでもありますね!

    明けましておめでとうございます。

    今年も宜しくお願いいたします。

  2. coachsmile より:

    齊藤さん

    ご無沙汰しております。ご活躍の様子、拝見していますよ。
    あけましておめでとうございます。
    こちらこそ宜しくお願いします。

    はい、考え方によって、結構ジコチューという言葉も拡大解釈すれば、大方の人が自己中心的なのではないでしょうか。何をしてあげるのも「きっと相手は喜ぶだろう」って自分の考えなわけですしね。そこに相手の反応を入れたにしても、また想像は入るでしょうし。あくまでも「拡大解釈」ならばですけれどね。

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