出来る気になっていないか

先日、メンターコーチと話しをしていて、次のコーチングのステップアップをして、クライアント様のしあわせや成功に更に貢献できるようになれば、私も更に幸せだなと感じて、そんな事を話題に話をしました。その中で、お話をいただきました。

私はメンターコーチには、「何か情報提供などあれば情報も欲しい」とお願いをしていました。そんな折のコーチングで、メンターが「参考になれば」と話して下さったのが、私達の目指す「指標」についてでした。
これは、資格をとるためのスキルのレベル設定ではなく、どういう在り方であり、どういう接し方をしているのかという事でした。

そして、そのレベルがこうなれば、更にコーチレベルは上がったという事となるでしょう。という次の目指す在り方が明確に示されているものでした。

自分の手元にあり、たまに気にして見てはいたものの、この内容を私はできているのでしょうか。
まさに、「解ることと出来る事は違う」という事を、自分自身が目の当たりにした気分でした。スローな私は、一つが気になったらトコトン気にしてみるので、中には「これは自然にできるようになっているな」というモノもありました。が、まだまだ在り方ですから、クライアント様との信頼関係を振り返ってみると、これから在り方を考えて行かなければ成らないこともあるなと思い知らされました。

出来る気になっているって怖いなと思いました。

他の事でも、「コーチとしてどうなの?」「講師としてどうなの?」と言っていただける事もあります。
それが、自分の拘りと違う場合は、「そういう見方もあるんだなあ。なるほど」と冷静に受け止めながらも、「でも私としてはそこは敢えて変えたくない部分なんだ」と思えば、変えない事もあります。これはテクニックレベルです。
けれども、在り方を問われた時には、私自身もかなり考えさせられます。「これでいいのだろうか」「私は言っている事とやっていることにそんなにギャップがあると言うことなのだろうか」などと、考えます。

出来る気になっていたけれど、違うのかもしれないな。日頃からできるようにしておこう。
出来ないとしたら、なぜこの時だけできなくなるのか。私の拘ってしまうことは何だろう。
など、自分自身と対話する時間をとることで、自分の中で、次のステップを見つけていきます。

本を読むのが好きで、読んだ事で、出来た気になってしまってないか。
十個のうち一つしかできてないのに、十個できた気になってしまっていないか。

自分で成長の種を摘み取ってしまっていないか。考えて、反省し、次に繋がる一歩を見つけることも多々あります。
ただ、そうは言っても、そんなに強い人間でもないので、見つけた瞬間は凹みます。
「あらまあ、私って何て事を・・・」
「ああ、気づいちゃった。またできてる気になってた。成長ないなあ」
など、自分で自分にがっかりすることも沢山あります。けど、その先に成長があるんだとしたら、「伸び代見つかって良かった」に結びつける事にしてから、かなり受け止め方も変化しましたし、凹んでいる時間が圧倒的に短くなりました。

これからも、こうした事を繰り返すのでしょうが、今回もコーチングの事で、コーチの在り方について反省させられました。
凹んで、すぐに次のステップへと切り替えられたので、まずは「指標」をもう一度眺めてみようと思います。そこから「出来る事」を増やしていこうと思います。

あなたは解っているからと、できるつもりになってしまっていることってありませんか?
それをどこで気づく事ができますか。

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