本当に「甘え」なのか

ある所属しているチームでこんな事がありました。
「イライラをそのままぶつけてくるんだけど。聞いている方が辛い。絶対、ここなら何をしてもいいと思って甘えているんだよ」と私に言ってくるAさん。

私「どうして甘えだと思うんですか。」
Aさん「辛い事があった後だから仕方ないと思って許していたから、どんどんひどくなってきて。
   それは甘えでしょ。どう思う?」
私「どうだろうか。そもそもエスカレートしていることに気づいていないかも。私もちょっと関わってみるね」
Aさん「そうしてえ。私はもう関わりたくないし。」

その後、その対象の人と話をしてみると、かなり状況的に追い詰められている事が多いために、ゆとりがなさそうでした。「手伝えることある?」と聞くと、「話してスッキリしたからありがとう」と言うのです。
何日かしてまた様子が気になって話してみると、やっぱり追い詰められていそうな様子。
「心配だから手伝わせて。何手伝う?」と半ば強制的に手伝わせてもらいました。

手伝っている間に、追い詰められた状況に至るまでのことを話してくれました。甘えるどころか、一人で抱えすぎてしまって余裕がなくなってしまっていたようでした。

私の手伝えることは微々たるものなのに、その人にとってはゆとりが持てるようになったようで、その後Aさんに会ったら、「ありがとう。なんか元に戻ってるよ。良かったあ。」と言うので、「うん。弱音を吐けないみたいだから、甘えじゃなくて、抱えていたのかもよ。私の居ない時も手伝ってあげてほしいな。」と言うと、「わかった」と。

「甘え」と決めつけてみてしまう事で、見落とされてしまう事があったように思います。
もしかしたら、本当に甘えている人もいらっしゃるのかもしれませんが、自分なりに頑張っている人に「甘え」というレッテルを張ってしまうのは、接している人ももったいないように思います。

決めつける前にどうしてそうなったのかを聞いてみてほしいなあと思いました。

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