失敗した時の方が学びは継続される?!

昨日(2011年4月28日)は日帰りで東京に行ってきました。そこではトレーニングゲームを体験してきたのです。その体験を通じてまず感じたことです。

トレーニングゲームを5つ行いましたが、ゲームがうまくいった時には、達成感があり、非常に満たされた気分になりました。なぜうまくいったのかと考えても、初めてのことには「たまたま」という事しか浮かびません。

けれども、制限時間があることで、制限時間内に出来ず「何でだろう?」と自然に自分に問いかけることで、その後もずっと何でだろう?って思い続け、終わった後に「どうすればよかったんだろう?」と考えると、いろんな事が見えて来ました。その事によって、次はどうすれば制限時間内にできるのかのヒントを得ることができました。(実際にうまくいくかは、検証する時間がないので検証できていませんが、また駄目ならまた考えればいいかな)

ふとエジソンの言葉を思い出してしまいました。

【名言】わたしは、決して失望などしない。なぜなら、どんな失敗も、新たな一歩となるからだ。
【詳細文/補足】(別訳ver.1)私は失望などしない。なぜなら、どんな失敗でも次への前進の新たな一歩となるからだ。
【出典】エジソン[トーマス・エジソン](19〜20世紀米国の発明家、GE社創業者、1847〜1931)
【関連文】(英文)I am not discouraged, because every wrong attempt discarded is another step forward.

【名言】私は失敗したことがない。ただ、1万通りの、うまく行かない方法を見つけただけだ。
【出典】エジソン[トーマス・エジソン](19〜20世紀米国の発明家、GE社創業者、1847〜1931)
【関連文】(英文)I have not failed. I’ve just found 10,000 ways that won’t work.

【名言】私は実験において 失敗など一度たりともしていない。この方法ではうまく行かないということを発見してきたのだ。
【出典】エジソン[トーマス・エジソン](19〜20世紀米国の発明家、GE社創業者、1847〜1931)

ホンダの創業者本田宗一郎さんも、たしか「人には失敗する権利がある。しかし、失敗には反省する義務がついてくる」と言うようなことを仰っていたような。

結局、失敗して「あーあ」で終わってしまわず、気になって考えてしまうものなのじゃないかなと。そうなると、それは既に「失敗」という表現はふさわしくなく、「体験」に過ぎなくて、その体験から何を得るかは、うまくいかないと思う「感情が思考を働かせ続ける」のではないかと感じました。

そして、そのままにしておきたくないという「感情が次の動きを生み出す」のではないかと。

成功したときの満たされた感情以上に、うまくいかなかったときの感情は、その感情が居心地が悪くてすっきりしたいから、人を考えさせたり、動かせたりしてしまうのかなと思いました。
「あーあ」で終わらせられる人には違うのかもしれないけれど、昨日その場に居た人達には、少なからず、その場で終わったままにしたくなさそうでした。

私などは今でも気になっていますもの(^^;)どうしたら時間内にできたのかなって。
おかげで、見えてきたものもありますよ。それは後日ということで・・・。

非常に有意義な学びでした。
成功することだけが学びじゃないんだよなあ。失敗が許される場所で失敗を体験したり、させてあげられることも、先生や親、上司など、育成する人達の役割なのかもしれないなと感じました。

あなたもこのお休みに、何かチャレンジしてみませんか。

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