大変!って、捉え方次第

クライアントさんに半年前に教えてもらいました。
「大変って大きく変わるって書くんですよね」と。ピンチはチャンスって話しをしている時の何気ない一言だったのですが、私には妙な納得感がありました。「ピンチはチャンスって言わなくても、昔から一言で表現しているじゃない」という思いでした。

この事で、大きな気付きが2つありました。
一つは「大きく変わる」から大変って言うとしたら、そんなに大したことでもないのに「大変」って使ってしまっているという事です。
「大きく変わる」事がそんなに続く事もなければ、実際に大きく変わる事でなくても、「大変だあ」と騒いでいたんだなあと思うと、なぜあの時に騒いでしまったんだろうって思います。もしかしたら、皆にも知ってほしいことを騒いでいたのかなと。
そう思うと、利用していたこともありました。
クレームが会った時に「大変だあ」と騒ぐことで、「重大な事」として扱うことで、緊急招集したり、次の対策を真剣な顔で行ったりしました。もしかしたら、小さな事であったとしても、クレームに関しては「大きな事」として扱う事で、品質向上に役立てていたのかもしれません。実は戦略家なのか?と自分を思いながらも、こうした「大きな事として扱う」事に使っていたんだなと気付きました。

2つ目は「ピンチはチャンス」というおきかえをしなくても、この言葉自体が表現してくれていたんだということです。「これから大きく変わっちゃうぞ」「今大きく変わっちゃったぞ」という事を「大変」と表現し、その後、どう変わってしまうかは自分達が創っていけるものなのだろうと。
現在、太平洋沖地震の影響で街が「大変な状況」になっているけれども、「大変」なんですから、これから「戻す」のではなく「変えていく」事が大切なのかもと思いました。とは言え、震災に関しては、個人の思いも日本としての思いも、世界の一部としての考え方もあるでしょう。簡単なものではないと思いますが、この脅威をこれからにどう生かしていくのか、「大きく変わる」とはどういう事なのかを共に考えていかなければ、ならないと思いました。
細かく言えば、自分自身の勝手な考え方もありますが、「大きな」事ですから、一人一人の力だけでなく、全体でどうしていくのかを考え、変えていくエネルギーにしたいものだと思いました。

この影響で、他の業種もまた打撃を受けています。直接被災はしていなくても、影響を受けている人達も多いはず。決して、東北地方だけのことではなく、国全体が、世界全体が「大変」なんだと思います。
私も含め、「元に戻す」事にエネルギーを使ってしまうのだけれど、どこまでが最低限元に戻す事で、それ以降の「変わる」部分がどこなのか。しっかり計画を立てて変えていきたいものです。

二つのことに気付き、改めて話してみると、本当は「大きなこと」「小さな事」なんて仕訳はなくて、どの事柄も、捉え方次第なんだろうと思いました。
大きい、小さいなんて関係ないのかもしれません。ただその事をどう受け止め、どう先を想像していくのか。そこなのかもしれないなと思いました。

あなたの周りの「大変な出来事」って何ですか
どう「変える」ことなの?

変わるから、変えるへ・・・。

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