人の体験に不要なものはない

先日の事でした。ある社長が「僕はね、小さい頃に打ちのめされた経験のある奴しか信じないんだ。それを這い上がってきた奴には、何とかなるという自信がある。本人は気づいてなくても、明らかに違う。」と仰っていました。地震が起きた日の午前のことでした。その事が改めて今「人の体験に不要なものはない」と教えてくれていた気がします。

保険業界で生き残っていける人、業績を伸ばせる人の共通点には「根拠のない自信」があるそうです。他の営業職の方からも自己効力感(セルフエフェカシーとも言われる)の話しをしてもらってまだ1週間くらいしか経ってない時期でもありました。「僕ならできる」「何とかなる」という自信があるのだそうです。

では、それがいつ生まれるのか、もって生まれたものなのか?
不思議に思って聴いてみると、たしかに元々育った環境のために持っている人もいるけれど、多くの人が小さい頃に大きな挫折を味わっているのだそうです。そこから不屈な精神かどうかは別として、立ち直った経験がその人を強くしているのだそうです。
確かにそうかも。

以前、自分のコーチと話したことがあります。人は多かれ少なかれ、その人の人生において挫折し立ち直った経験をしている。けれども、それを忘れてしまったり、他と比べて落ち込んだりするけれど、立ち直ってきた力がある。だから、その人がどんな挫折をし、どんな風に克服してきたのかという部分が、その人なんだろうねと話し合ったことがありました。

そういう観点からすると、トップセールスといわれる人達は、そうした体験をエネルギーに変えてこれた人なんでしょうね。自分に秘められたエネルギーを信じられるかどうかなんだなという事がなんとなく感じられました。

そうなると、阪神淡路の大震災を経験した人は、地震の後立ち上がれる力を信じられるから、前向きです。東北の人達もきっとそうしたことを見聞きしているから、この先を信じているんだと思います。

確かにその時は辛い体験です。けれども、その過去を乗り越えている日々が全て今からの自分の支えになっているんですよね。どんな体験も不要ではない。そんな事を強く感じました。

こういう時だからこそ、自分の器の小ささを思い知ったり、動揺する自分の気持ちをコントロールしきれなかったりもしました。けれども、これも私にはきっと必要な体験なんだと思います。まだまだこの体験がどう影響していくのかは分かりません。
けれども、日々精一杯生きるだけでも、それが糧になっていくんだという事だけは信じられます。

今を生きる

その事の意味を少しだけ感じています。(全部分かったとは思わないので少しだけ、と表現します)

今、あなたは生きています。生きているから積める体験を目一杯感じあいましょう。

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