主体的になるためには

昨日(2011年2月21日)は1日で1冊の本を読み終えました。速読を学んでないので、かなり自分の読みたいところだけで目が止まるような読み方ではあったけれども達成感もありました。その本の中でハッとさせられることがありました。それは主体的であることは意識しないと出来ない部分なのかなと言う点です。

自慢じゃないけれど、私自身はすごく主体的な人だと思っていました。けれども、チェックシートがあり、正直に応えたつもりがまだまだ主体的になれてない場面もあると判断され、他の判断結果を見てみると、全て主観的になれなかった経験を持っている人だけが、主体的になれると記されているようです。
結局は、誰でも主体的じゃない事があると書かれています。そうだろうなと思いながらも、どこかで本当にそうなのか?と悩みながら読んでいました。

けれど、読み進めていくと確かに見に覚えがある事が書かれています。以前はそうだったなと。そうなるとその以前に戻ることもあるんだろうと思えるようになりました。

誰もが人にお願いと依頼的になるけれど、自ら進んで動くには、主語を「私」にしておくことが大切であり、チームであれば、「私達」という視点が大切だと書かれていました。
その通り!ずっと組織の中で、やってきましたよ。
でも、そのスイッチを切り替えるために使っていた言葉はありました。

愚痴を言ったり、人に対して怒ったりするのも、認めて欲しいんだろうなと思い、認められる部分を探してでも認めたうえで、「じゃ、(私達は)どうしようか」と話しを良くしました。
これが、私達にとっての「主体的になるスイッチ」になっていたんだなと思いました。

依存は人に任せてしまうことだけれど、私達という相互依存は自分もする事をしたうえで、人の強みにあわせて任せあう部分を持つという事も書かれていただけれど、昨日のブログのチームの強みを活かしあうことが正にそうだったのかもと思えました。

改めて、「私に何ができるのか」「私はどうするの」というスイッチ。私達という場合もあるけれど、このスイッチの問いを忘れないで、主体的に動ける組織であり続けたいと思いました。

ある組織のアンケートで、「○○さんに××を期待する」という回答をしてくれた人が多数いました。だとすると、その××してもらうために、その人はどうするのか?が主体性なんでしょうね。

あなたは主体的ではないときに、どう主体的になりますか。

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