思い込みは色々なところに転がっている

先週、数十年ぶりに話した友人が居ました。季節の挨拶は手紙でしていたものの、年賀状もしなくなって、本当に久しぶりにお話をしたのです。

彼女と話している間に、私があの頃は本当に一緒にいてくれて有難うとお礼を言うと、彼女が「あの頃は、本当に若かったし、浅慮だったので、すごく失礼な事をsmilecoachさんにしちゃってたと大人になってから思ってたの。今更ながらごめんね。」と言うのです。
「はて?何のこと?」と思ったので、「私の今の記憶にはないから、謝る必要もないよ~。」と伝えたのですが、何度も謝るのです。

きっと気づいてからは季節のやりとりをするときに、ずっと気にしてくれていたのでしょうね。確認したところで、敢えて思い出す必要もないかなと思い、内容は聞きませんでした。

今までずっと私は、傷ついた方は覚えているけれど、傷つけた方が覚えていないものだ。と思い込みをしていました。
けれども、それぞれの体験の中で、傷つくことは違うし、レベルもそれぞれです。私にとっては、当時傷ついた事があったとしても、そんなに大きなレベルの出来事ではなかったのでしょう。けれども、彼女にとってはすごく重い事だと気づいた体験があったのかもしれません。
そのことで、ずっと謝りたかったのかもしれないと思うと、今回の機会があってよかったなと思いました。

反対も然りで、傷つけた人が覚えていないのは、その人たちにとって大した事ではないから覚えていないだけで、知らない内に私が違う事で傷つけているかもしれないと思うと、コミュニケーションをとるという事はこうした傷つけ合いをしてしまうのかもしれないのだな、と思いました。
だからこそ、そのギャップを感じ取り、更にコミュニケーションをとる事が大切なのでしょうね。今回のように、何十年も謝る機会を奪ってしまうなんて・・・。その時にお互いに話せていたら。数年後にでも話せていたら。また違った今の関係性があったのかもしれません。
ただ、彼女と時は経ても、話せてよかった。彼女が少しでも軽くなるならば本当にうれしいです。

私も彼女の一言で、思い込みを外すことができました。有難い機会でした。
再会し、また彼女と話すのは数年後かもしれません。けれども、今までと違ったお話ができるかなと思います。すごく楽しみです。機会をありがとう。

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