コミュニケーションは人を傷つけるもの

色々と言葉にし辛い思いや考えが交錯した中、少々お休みをしました。
が、メール等で元気ですか、と言うお声かけを数名からいただき、大丈夫ですよと応えつつも、このもやもやしていました、というありのままを表現しようと書いています。

内容についてはお話できないのですが、心の中で起こった事としては、「期待」に対して裏切られた感があるのだと思います。「私自身への期待」「周囲への期待」など色々あったものに対し、近づこうと思っていた部分。信じていた部分。たくさんあり、それが裏切られたと考えた事で、喪失感、虚脱感にもつながってしまったのかもしれません。
しかも一つであれば、何度も乗り越えてきたので、私にとっては何ともないことであったのですが、あまりにもアンコントロールな事も含まれたたくさんの出来事が起こり、自分が引き寄せたと思うと自分にも失望もありました。自分で出来事を見聞きしただけでも衝撃なのに、言葉や態度にされる辛さも痛感しました。

そんな時に現実逃避で、ぼーっとテレビをつけて眺めている事があります。そのテレビにイエール大学教授の成田悠輔さんが出演されていて、「コミュニケーションは人を傷つけるものだが、そのコミュニケーションを通して、相手と自分が違うということを知るきっかけになる」と言うような事をお話されていました。違う人だからこそ、心地よいだけでなく、無意識に傷をつけてしまうかもしれないコミュニケーション。それを避けていたら、成長も変化もなくなってしまう。というような事も仰っていたのを聴きました。

今回の出来事についての言葉もそうなのかもしれません。ただ思っていた事を言葉にされたことで衝撃は大きかった。けれど、違うからこその言葉を発する事を怖がっても居られないし、聞くことを避ける事もできなかった。あとは私がこの重なったものをどう整理し、今後に活かしていくのか。また、スルーしてよい出来事はないのか。なども含め、考えて成長する機会をもらったのかもしれません。

そう思って、周りの人達と話してみると、私は相手に落ち込んでいる事すら悟られないくらい、自然に笑っています。違う価値観に対し、更に寛大になっていると錯覚するほど「ああ、違う考えをありがとう」と思えています。自分自身が気になった事も「傷つけてしまうかもしれないけれど発してみよう」と思える場面では発しています。
まだまだ消化しきれていない部分があるので、何言っているのか伝わらない部分も多いと思いますが、そんな自分事ここにさらしてみました。

成田さんの発想の転換から学んだ事で、タイミングよく考えるきっかけになりましたし、コミュニケーションで言葉を選びながら話そうとするのも、私たちは「コミュニケーションが人を傷つけてしまうもの」と言うことを知っているからなんだなあとも思いました。
なので独り言として書いているここでは、自分の言葉がどう傷つけてしまうかを考えてしまうのではなく、独り言として「違う考えだなあ」と思っていただきながら読んでいただける方に読んでいただけたらいいかな、と言う思いで今まで以上に書いていこうと思います。

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