本当にそれが全てなのでしょうか

お相撲の八百長という話しが取り上げられていますが、必死になってやっている人もいらっしゃると思いますが、一般化と言って、一部がそうだと、全てそうだといわれるのも悲しい事です。このように一部が全部という考え方はお相撲に限らず多いように感じます。

私は最初の職が公務員でしたが、「公務員はこうだから・・・」「あんたも公務員か」というように、公務員という職種の人を一括りにされることが多かったです。改善したり、その中で真剣に取り組んで明るくやっているのに、イメージだけで決め付けられて、悔しい思いをしたこともありました。

営業の仕事を任されたときに、「女なのに」と良く言われました。接待の場に行けば、女性を活かして営業したのだろうとかありえない事を言われたり、女性なのに出来るはずがないとか、製造がわかって言っているのかとか、それだけで一括りにされました。

部下としての自分も「一社員なのに」と言われたことがあります。必死になってただ真剣にやっているだけなのに。何度も悔しい思いをしました。

けれど、私は被害者ではなく、私自身もしているのが事実です。思い込みというものもこれと同じではないでしょうか。全てを知って判断したこともないのに、決め付けていることがいっぱいあると思います。けれども、私の中ではそれが経験の全てだから、そう思い込んでしまうんですよね。

一括りにしてしまう仕組みも分かります。そして、それによって悔しい思いをしたこともあります。いろんな方向からみて、それが全てなのだろうか?と人の話しも自分の思い込みも考えた時に、いろんな事が見えてくると思います。

仕事も改善したい部分が見つからない。課題がないという人が居ますが、今が全てでそこに自分が溶け込んで居るときには見えない部分があります。けれども、違う視点から見てみると?これがベストなの?という視点で見ると、何か疑問に思う点が出てくるように思います。

本当にそれが全てなのか。全貌なのか。もしも一部だとしたら?
そんな視点を持つだけで、発する言葉も発し方も変わってくるのではないでしょうか。
私はそう思います。
あなたは、どう思いますか?

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