主体性を持ってほしいならば、気にしなくてはならないこと

半年間で改善活動に関する取り組みをサポートしているのですが、最後の成果発表でのQ&Aで、多くの人がハッとしたことがありました。


Q「これだけ簡単に改善できて、しかも効果がこれだけ出るなら、なぜ今まで出来なかったのでしょうか」
A「やろうとしなかっただけです。もっと言うならそこに疑問ももたなかっただけです。」
Q「なるほど。なら、どうして今回はできたんですか。」
A「時間がない中で簡単にできることをやりたかった、と言うのが正直なところです。でも、ずっと面倒だなあ、とは思っていたので、今回を機会にやろうと思った。」
Q「これからもやるんですか。」
A「正直、気になっていることはまだあるので、そう言われるとやろうとは思うけど、言われなかったらやらなかったかもしれないですね。」

質問する側も一緒に改善活動に参加したメンバーなので、本音で答えてくれたのだとは思いますが、他の人も「そうだよねえ」と回答に納得していました。

このやりとりからも、きっかけは与えられた「活動に参加しなさい」という指示だったのだろうけれど、結果が出てみると、やってよかったなと思えるが、さらにきっかけがないと、続ける事は難しいんだなと分かります。
この職場での事に限らず、きっかけを主体性に委ねるだけでは、日々の業務にかき消されるように「まあいいや」と後回しにされる、或いは鈍感になっていく事に対して、積極的にかかわれる人は少ないのだろうなと感じました。

今回の活動に参加された方々は、ITが得意な方はITを活かして。体を動かす事が得意な人は整理整頓など、それぞれの得意分野を生かしながら、本当にいろんな取り組みをしてくださいました。

主体的に働いてもらいたいと思うことは多いですが、「ここを気にしてほしい」と言う事がないと、鈍感になりがちな部分には目が向かないし、敢えてしようと思わない。
だからこそ、指示なのか、ここを気にして、なのか、指示や視点の提供というものもうまく活用していく必要があるなと改めて感じました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました