不要な時間を短くできた

お恥ずかしい話しですが、私は30歳の誕生日に初めて毎日のお化粧をするようになりました。それまでは色つきリップのみ。おかげでお化粧の仕方も分からない状態でした。しかし4年前に一度だけコーディネートのコーチングを受けたのですが、その際にメイクも教えてもらいました。パンツスーツしかはかなかった私がスカートに変えたのもその時がきっかけでした。けれども、どうもやっぱりお化粧は苦手。それが自分にとっての不要な時間に思えていたのです。そこで短くすることに挑戦。

そんなことかって思うかもしれませんが、毎日仕事があるならば、きっと当然のようにしていたでしょう。けれども、仕事のない日に娘のお迎えがあったりすると、それだけのために手を止めてお化粧するのか?と思うと、時間が勿体無いように感じてしまったのです。かといって何もしないで出かけるのもね。

そこで要領よくお化粧ができないかとやってみて、かなり時間も短縮できるようになりました。最初の頃は慣れないこともあり、40分くらいかかっていたお化粧も、今や20分。それでも長く感じます。顔を洗ってから全てだからと言っても、この20分は勿体無い。
とうとう最近はやりのオールインワン化粧品を購入して今朝使ってみました。いやあ、楽ですね。5分です。まあ、基礎化粧だけですが、5分です。あっという間。こんな工夫があったのかと思いました。

仕事でも生活の中でも、この中でやりくりしなくちゃと思っているときの限界が来ると初めて別のことを考えられる。どうして最初からこう考えられなかったのでしょうか。

経理も最初は自分でなんとかしようとしていた。けれども大変だったからプロに教えてもらいながらソフトを導入。するとあっという間。確かにお金がかかるというのはありますが、同じようにお金はかかっているのです。一括なのかそうでないのかの違いであって、変わらない。

私の中に「やるだけやって納得できたら・・・」という発想があるのだと思いました。これは私の価値観なんだなと。あきらめるのではなく、工夫すれば何とかなると思っている時期があるんだなと思いました。

昨日、実母が遊びに来てくれました。
「お父さんが今は寝たきりだけれど、私は幸せだと思う。5年前はちょっと目を離すと出て行ってしまうから、お互いの手を結んだ状態で寝る日々だった。それが、今は寝たきりだけれど、穏やかに過ごせている。ゆっくり寝ることもできる。介護は大変だよねとみんなに言われるけれど、本当は大変じゃない。子供たちも居てくれるし、手伝ってくれるし、元気で居てくれるから、お父さんのことだけ考えていればいいし、デイサービスにもお願いできるから、疲れたなって時は息抜きもさせてもらえる。だからお父さんにもいっつも笑って接する事ができる。だから、みんなが思う人大変じゃないし、幸せなのよね」
こんな話しをしていました。他にも色んな話しをしてお母さんは1時間くらい話をしていました。でも本当に幸せそうな顔をしていました。

考えてみたら、すぐに人と比べてどうだとか考えてしまう傾向があるのかもしれません。私も「女性なのにお化粧が面倒なんて」って思われるかもしれませんしね。
けれども、私にとっては不要な時間で、なんとか短縮するために「工夫」をするのが好きで、それでも限界が来たら次の新しい発想をするのが私なんだなと、身近なことで感じました。

そう考えていたら、私は娘に良く「早く」「早く」と言うのです。時間を無駄にしたくないという私の価値観を娘に押し付けていたのかもしれません。
でも、娘は「楽しく」「ゆっくり」が好きだから、私とは違うんですよね。せっかく比べるなら違いを知るだけでいいのかなって思いました。

今朝、ちょっとしたことで、時間が短縮できた喜びを感じられたことで非常に機嫌のよい私です。これがお勤めをしていた頃だったら、「小林さんは今日は機嫌がいいね」とか言われていたのかもしれませんね。

ちょっと昨日の母の話を聞いて、この母の娘でよかったと思えた私です。だから、今の私が居るんだなとも思いました。いつでも機嫌のよい私は母の価値観を受け継いでいて、更に機嫌のよいときの私は自分の価値観を満たしているときなのでしょうね。

あなたは人が何と言おうと、自分が満足しているときってどんな時ですか。

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