私って本当に駄目だったなあ

たまに、自分自身の浅はかさに打ちのめされる事があります。
「ああ、なんて駄目なんだろう」と。

経験から学ぶという事をよく話して居ると思いますが、「何のために」と言う部分が良く抜けるのです。

最近もお話しした事があるように、私は本当に父に厳しく「こうしなさい」「ああしなくては駄目」と細かく教えられてきました。言動を覚えてきただけで、「なぜそうなのか」は成長する中でゆっくり理解していったように思います。

その覚え方の癖は抜けない事があって、物事を先に覚えている事があり、「ああ、そういう意味だったのね」「ああ、こういう目的でもあるわけね」など、後から意義を知るから、結局学び直す事も多いのです。
そのたびに、「何のため」と考えられるようになったのは、成人して以降だったと思います。

自分だけでなく、周りの人に対しても、「何のため」と言う事は良く確認するようになりました。
が、どこかで無意識に順番が違っていて、ああ、また意図もなくやってしまったあ。と思う事もあり、駄目だなあと思ってしまいます。
要はテクニックとして覚えているだけで、意図が解らずやっているから、本来の意図とずれていってしまって、「あれ?何をしているんだっけ?」となってしまう事があるという事です。

物事を覚える時には、「意図」が大切な気がしています。
学校の勉強もそう。この勉強がどんな所に使われているのかを解ったら、もっと興味を持てるだろうなと。

今、学びたい事があって、それは「意図」が先にあったはずなのに、いつの間にか「知識の習得」に主眼を置いてしまっている事に気づいてしまいました。ああ、駄目だなあ。
ちゃんと「意図」を意識して、学び続けようと思います。

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