忙しくなると自然に淘汰されるもの

今考えても、あのころは良くやっていたなと思う時期があります。それでも足りなくて睡眠時間3時間にして、慣れればそれでも充分回復し、集中していた時期もありました。

が、その頃に解った事がありました。
忙しければ、自然に雑念は消えるという事。その事に割く時間がもったいないと思うからです。
だからこそ、雑念が多いなと思う時には、「ああ、私、今ゆとりがあるんだな」と思えるようになりました。

そもそも「忙しい人は頼られるからこそ忙しいのだよ」と官公庁時代にお仕えした市長が教えてくださってからは頼られている事が嬉しくて、頼られた事に応えるために、自分の時間を割くのが当たり前になってしまっていました。それでも楽しかったし、その気持ちは今も変わりません。

が、さすがに年齢と共に回復に時間はかかるので、しっかり睡眠時間はとるようになりました。最高のパフォーマンスのためには欠かせないものだからです。

そんな中、少々雑念を無視しすぎた事もあり、自分との対話の時間が減っていました。
10月に入り、手帳を変えた事はお話ししたと思いますが、毎年の目標を書くページのある手帳を使っているのです。
が、浮かばない・・・。

何をしたいんだろうか。
私のキャパは今どのくらいだろうか。
何をしている時が心地よいと感じているのだろうか。
どういう人達と出会いたいのだろうか。

出会いや、心地良い事はそんなに変わらないので、まだ浮かぶのだけれど、どうしても自分のキャパはどのくらいなのか。これから何をしたいと感じているのか。などは、全く浮かばない。
少し時間をかけて考えてみる事にしようと思いますが、それほどまでに自分の時間が取れないほど忙しかったのかと言うとそうではないと思います。

だとすると、雑念??どんな??覚えていないほどの本当に小さな事なのだろうけれど、きっと私には大切な事だったのか、それとも考える事を拒絶していたのか。
自分の事なのに解らないのですが、それでも、考えたくない事がある時には忙しくしてもいいし、忙しい時には自然に雑念は減るという、外的なものでもコントロールできてしまう事を改めて感じています。

身体と心は一体ですね。
その事を改めて感じた今朝でした。

コメント

タイトルとURLをコピーしました