努力してもなんともならない事は認めるしかない

努力で何とかしようとしてもけれど、どうしようもない事はあるのに、何とかしようとしてみることが格好良いと思っていた私。
もしかしたら、何かもがいている内に突破口が見つかるかもしれないのに、やりもしないで諦めるなんて・・・とどこかで思っていたのだろうと思います。

が、どうしようとならない事はあるし、そこは認めて、違う事にエネルギーを注いだ方が断然良い事に改めて気づいてしまいました。

全てをそうするわけではないけれど、どうしようもならない事をしっかり認める事の大切さに気づけたのは良かったと思います。

8月初めに久しぶりにオンラインで会った友達と話していたら、彼女が凄く大変な局面を乗り越えてきたのに、今は明るいので、どうやって乗り越えてきたのかを聞いてみました。
すると、「努力してもなんともならないんだな、って解った。と言うか解っていたけど抗っていた。けど、どんどん苦しくなって、体調も崩れちゃうし、悪循環に入って、本当に違う病気になるんじゃないかと危機感を感じたんだよね。だから、抗うのを止めた。『ああ、これは何ともならないんだ』と認めてしまえば、結構楽で、じゃあ対処法も周りが言っている事を受け入れたら楽になるなら、受け容れるよ。って思えたら、本当に悪循環が切れた。正直、状態が大きく変わったわけじゃないけど、全然笑っていられる。深刻だけど、深刻になり過ぎずにいられるし、困ってるんです~って言えるようになった。楽だよ~。」と。

もがいた末に、ここまでやったからもう認めよう!と言う後の「楽さ」と表現しているのが、今の表情なんだろうなと感じました。

凄いなと思いながら、私自身もどこかで「じゃあ、やれるところまではやってみたんだね。私もそこまではしてみよう」と思ったんです。
そしたら、身体が悲鳴をあげて、動けなくなりました。
ああ、彼女の言っていた「抗う」を私も必死にやりすぎちゃったんだなあと寝ながら思っていました。

今でも、「やれるところまでやるのが格好良い」と言う思いは変わらないので、他の事では多分無理することもあるのでしょうが、今回の事で「これが私の限界なんだ」と言う事は受け容れる事ができました。
その手前で、ちゃんとできない事を認めようと思いました。

お恥ずかしながら、あれだけ無理していたのは何だったんだろう?と思う程、(何ともならない部分は対処法があるので、その対処法を受け入れたら)凄く快適です。
対処法があるのに、自分で何とかしてみようなんて、本当に抵抗でしかなかったんだなあと思わず笑ってしまいます。
自分がやりたい事にエネルギーを注げる状態に戻りました。

こんな簡単な事を、自分の中の「格好良さ」「理想の自分」を求めすぎて、苦しんで、結局もっと大切にしたい「こんな事をしていきたい」と思う事をできない状態にしていたなんて。

ちゃんとできない事は認めていく事は大切な事なのでしょうね。徐々に自分のこだわりも変えていきたいなと思いました。

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